66.2001年5月第2週の国会論戦について。
小泉新政権が構造改革や不良債権処理を行うことが期待されて日本の株価が相当上がった。これで、「景気は気から」といわれる景気も上がるかも知れず、日本国民にとっては少し嬉しい日々を過ごせるようになってきた。一方野党は小泉新政権の人気のおかげで存在意義が試されて嬉しくなさそうである。そんな中での施政方針演説・代表質問である。
政権奪取型野党は、無闇に小泉政権の政策の批判反対を行っても逆効果である。日本国民を幸せにする目標に則した政策が行われるのであれば、立場が異なってもその政策の達成に向けて協力すべきである。目標達成のための手段が弱い場合はそこを追及し、目標と関係のない政策を打ち出してきたらそこを糾弾し、新政権が未だ癒着や国民不在体質や不公平に依存しているのならそこを批判反対するのが今回の政権奪取型野党の仕事である。
政権批判型野党は粘着的な質問で首相の「言質」を取り、閣内・与党内の分裂を引き起こす作戦に出るであろう。生産的な議論にならず、万年野党的だが仕方のないところか。
与党の掲げる政策は素晴らしいものだが、どうやって実現するのかが不明確で、その点の補強は必要だと思う。首相のリーダーシップには期待できるが、国会を軽視し国民を煽動するためにリーダーシップが発揮されるとしたら日本社会にとって非常に危険だ。
67.史学科出身として教科書問題を述べてみることについて。
「週刊ポスト」の5月4・11日号に、「新しい教科書を作る会」の教科書の執筆者である小林よしのり氏のインタビュー記事があった。彼は大東亜戦争の当たりを執筆したそうだ。「わしは太平洋戦争はカッコでくくって、『大東亜戦争』にしているけど。東大名誉教授で近現代史の権威である伊藤隆さんに、わしの文章を“検定”してもらった」と、小林氏はインタビューで述べている。伊藤隆氏があの教科書に関与していたとは驚きである。
歴史学をやった人なら、歴史学とは歴史事実の真贋を確かめるために一生を費やすことも時には必要とされる学問であるという事を知っている。教科書を専門的に書くならば、1つの記述につき出典を示す「註」が必ず1つは必要だ。だから教科書は、何千もの「註」が土台としてできている。従って、教科書はその分野の随一の碩学が書けるかどうかといった代物のはずである。伊藤隆氏は日本近現代史での希有な教科書の書き手である。
なのに、歴史学を知らない素人が、よくぞまあ伊藤隆氏の“検定”を通したものだ。「新しい教科書を作る会」側では史資料を調べたつもりだろうが、絶対的に足りないはずだ。足りないから普通の教科書と違う内容のものが書けるのである。政治的にはともかく、この教科書は学問的な検討、すなわち「註」の確かさの検討に耐えられるのだろうか。
68.諸改革が難しそうな小泉内閣の現状について。
5月9日の代表質問を観ていて、小泉首相の答弁はユーモアがあって面白かったけれども、内容的には今までの自民党の首相とあまり変わらない官僚的な答弁だと感じた方々もいただろう。まあ、いくら小泉首相でも現在の政治状況ではなかなか新味を出しにくい。
小泉内閣にしても、大臣は新味が出ていたが、副大臣や政務官は今までと似たようなプロセスを経た人事であった。政党や派閥の均衡を守ったり、役職予備軍を役職に就けたりであった。総じて森内閣からの留任も多かった。留任者の能力が買われたのもあろうが。
小泉内閣の任務も小泉首相の意思とは離れた森内閣の懸案処理である。すなわち平成13年度予算関連法案並びに70本を越える内閣提出法案の審議である。これらの審議だけで今国会の会期は終わってしまい、参院選に突入してしまう。参院選が終わると臨時国会等で小泉首相独自の政策が打てる余裕もできようが、実際は参院選で自民党が勝っても負けても、小泉氏は首相を辞任する確率が高い。参院選の候補者も森内閣の時に策定したものである。小泉内閣は、森内閣の尻拭いで終わってしまう可能性があるというわけである。
自民党は岸信介から池田勇人、田中角栄から三木武夫、そして今回は森善朗から小泉純一郎と首相を変える「振り子の論理」で、今回も急場をしのごうという動きのようである。
69.一般人による一般人が読める政治の本について。
書店の「政治」の棚、最近は憲法記念日にちなんで憲法の本などが並んでいるが、大体決まった人々によって書かれていて、同じ人の書いた本が複数種類ある。しかも、その人々はほとんど極右か極左(たまに中道の学者や官僚がいる)である。しかも、極右同士、極左同士がなれ合って共著で本を出しており、両者の交流や論争は皆無である。「Extreme meets」ということさえもないのである。これでは政治の本は一般人には読まれまい。
一般人は極右でも極左でもない。学者や官僚でもない。だから一般人には政治の本がピンと来なくて、面白くない。著者は「自分の本を読まないと日本は潰れる」と思いこんでいるのだろうが、結局全然読まれない。そして日本は未だ潰れず、著者は別の本を書く。
政治が一般に相当浸透したのであるから、一般人による政治の本が出れば少しは売れると思う。しかし実際に一般人が自費出版で政治の本を出しても、棚に並ばず、広告もされないのでまず売れない。有名人による売れない本を出している大手出版社に出してもらいたいが、困難である。一般人には有名人が持つ知識と経験に欠け、本を書く上での基礎能力に欠けることを出版社は知っている。しかし、有名人は往々にして誤った前提の上に知識と経験を乗せる。一般人は正しい前提を出版社に売り込むことが必要になるだろう。
70.2001年5月第3週の予算委員会の細目について。
ドラスティックに変わる内閣支持率をはじき出す日本人がいまいち信用できなくなり、政治現象を評価することが難しくなっている。田中外相みたいに「今の政界はパニック状態」とも表現できそうだ。今や所信表明代表質問や予算委員会が人々に注目し、野党が小泉内閣を批判すると野党に抗議が殺到するという。抗議も立派な民主主義の表現であるが、今までの政治に無関心だった人は自己批判を表明して反省してから抗議してほしいとも言いたいし、評価できない。世の中が緊急事態故に長くはとれないが、冷却期間がほしい。
そもそも、平成13年度予算は既に成立しているのに、なぜ「予算委員会」が開かれているのか(この疑問は読売新聞夕刊が喚起してくれた)。小泉内閣の人気や威力を見せつけるために与党が仕掛けたのを野党がうっかり引っかかったのか。どうせなら「決算委員会」の名目で論戦をやって、これを先例にこれからの国会では「予算委員会」と「決算委員会」とで2回論戦を義務づける慣例を作れば国会が活性化するのに、と思った。
今回の予算委員会の特色の一つに、憲法や外交軍事などの予備知識がなくても理解できる議題が多かったことがある。専門知識がないと理解できない経済や金融の議題は少なかった。これも野党が人々に配慮したのか、問題を先送りしたのか、評価できない。
71.民主党の議員(市民)立法法案について。
自民党総裁選が行われている間、審議すべき法案が山ほどあるのにも関わらず、国会は休会同然の状態であった。野党が委員長ポストを持っている委員会が、定足数を満たないため開会できなかったという話しもなく、最初から委員会を開く予定がなかった。議員さんもこれ幸いと地元へ戻ってしまったのか、議員立法の提出もほとんどなかった。
こうなると、民主党に苦言を呈せざるを得ない。代表質問で小泉首相に「未だ提出していない議案」を賛成させようとした民主党だが、今国会に50本もの法案を提出できるとしながらも、実際は多くても10程度しか提出されていない。NPO優遇税制法案・立候補休暇法案などは未だ審議に付されていず、与党の裁量で議院運営委員会で店晒しになっているが、交通事故の刑罰を重くする法案など、委員会で審議が進んでいる法案もある。
これから民主党は市民から募集した法案などを提出する予定であるが、ただでさえ内閣提出法案の審議で押せ押せムードになっている国会では、今頃提出の議案は審議未了廃案になる可能性が極めて高い。数百人の市民から集めて数本のみを選出した法案をそんな扱いにするのでは、民主党は市民に失礼なことをしたとそしられかねない。自民党総裁選の間に、民主党は市民立法法案を数十本提出していたら後々良かったのにと思った。
72.ハンセン病訴訟判決に対する控訴断念について。
ハンセン病患者の隔離政策の見直しを怠ったとして国が全面敗訴した熊本地裁判決に対し、政府は23日、控訴を断念した(アサヒ・コムから引用)。このニュースに私は感動してしまった。何だか義務感に駆られるように、私としては極めて異例の、皆が論じているまさに昨日今日の話題について書く。
ハンセン病患者の方々の多くが、裁判係争中に年老いたり亡くなられた。さぞ無念だったであろう。裁判の迅速化を切に願う。今までの裁判係争期間が長すぎたからこそ、控訴によるこれ以上の裁判係争ができなくなり、政府は控訴断念に至った。この事件の責任は、立法府行政府の他に司法府にも及ぶ。
小泉首相や内閣政府の英断は歴史に残る。これによって日本の民主主義や政治主導が前進した。そして、人々はこの事件に対して政治を通じて権力を行使した事に対する責任を持たなければならない。これは民主主義の原則である。
同様の事件の裁判にも政府の全面敗訴の判決が出て、政府の信用が損なわれる。政府の支払う賠償金は税金によって賄われる。新しい出来事の前に、官の論理が崩されて政府が混乱する。この判決・この控訴断念は決して完全に人々にプラスというわけではなく、人々を支える政府の失政がむしろ人々に痛みをもたらす。人々は喜びも痛みもわかった上で、民主主義を運営する必要がある。
73.日本外交を論ずる前に日本政治史を復習することについて。
今の日本外交をめぐる情勢は、1920年代後半の幣原外交から田中外交に移るときの情勢と似ている。と枕に振って現在の日本外交を論じようとしたが、果たして「幣原外交」を、皆様ご存じだろうか。もしかして学校で習わなかったかも知れないし、たとえ習ったとしても忘れられてしまったかも知れない。
1920年代前半の幣原喜重郎外相は、対欧米・対中両方に協調外交を展開したが、その後の田中義一首相兼外相は対欧米には協調外交を続けつつも、対中外交では強硬外交に転じた。その背景には、国民が幣原外交を「軟弱外交」と非難し、在中の日本人が現地でトラブルに巻き込まれることが増えたことがある。1927年(昭和2)の総選挙で立憲政友会が憲政会を破って政権交代が起こり(当時はほぼ2大政党制)、日本外交の基本姿勢が変わったのである。
以上は山川出版社の日本史の教科書を参照して書いた。なお、私の日本近現代史専攻の記憶が正しければ、幣原外交は決して中国に博愛主義を示したわけではなく、協調外交によって中国から日本へ利益を引き出そうと裏では画策があったとされる。そのことについては後世の歴史家から賞賛も非難もある。
もしかして「河野外交」という言葉が、後に教科書に載るかも知れない。
74.予算委員会の会議録を調べてみたことについて。
以前このコラムで私は「平成13年度予算は既に成立しているのに、なぜ『予算委員会』が開かれているのか」と書いた。それは、予算成立直後(森内閣当時)に野党4党が予算委員会開会請求書を提出し、それを与党が「予算の実施状況に関する件の調査」という目的でこの時期の開会を認めた、ということらしい。会議録を調べて、「私も安易に書き過ぎたかなあ」と反省した。
5月15日の予算委員会では、産経新聞15日朝刊を引いて田中真紀子外相を批判した自由党の達増拓也議員が「事務所には1時間近く抗議の電話」(アサヒコムより)を食らう羽目に陥ったのに対し、産経新聞社には「10本以上の抗議電話(同紙より)」で済んだという。達増議員は「産経新聞から引いた」と明言しているから、産経新聞社にも相当数の抗議が行ってもいいはずだが。
これは「組織的な達増議員への嫌がらせ」ではなく、人々が「産経新聞云々」がカットされたワイドショーでこのことを知ったからであった。人々は政治家関係には感情的になるが、感情を煽っているメディアのことは考えないようだ。
「週刊文春」や「週刊新潮」が田中外相バッシングを続けているのに、これらに対する抗議云々という話を寡聞にして聞かない。やはり政治を活かすも殺すもメディアの力が大きすぎる。人々もできれば会議録を調べて欲しいのだが。