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55.ある程度の虚心坦懐で書いてみる、人権について。
実習船「えひめ丸」に乗っていて行方不明になっている高校生の親族の皆様、さらには北朝鮮に拉致された可能性もあって行方不明になっている方々の親族の皆様の御苦労・御心配は深く察せられる。しかし、あえて極論を申し上げれば、交通事故で、病気で、その他の原因で亡くなられた方々の御遺族の皆様の御苦労・悲しみには、先に申し上げた方々以上の深い洞察が必要であると私は思う。一人一人の人権を勘案した結果である。
凶悪な少年犯罪者が人権思想によって守られるのを快く思わないからといって、人権思想そのものを葬り去ろうという政治姿勢をとる政治家は、頭を冷やすために障害者のための施設で泊まりの研修を受けに行く必要がある。その政治家は、障害者と直に接することにより、未だ人権を保障されていない人々の存在を知り、人権が保障されていないことの御苦労を知り、これからは人権思想を正しく理解・使用してくれることを期待する。
人権とは、多くの人から1人の人を守るための全ての1人の人に付与された権利であり、人間の考え方が進歩し、多分人間が滅びないように人間の英知が生み出した考え方である。どんな人の不幸にも平等に悲しむのが人権の教えるところである。どんな人でも自分の死ぬ時を決定できる、生き様を決定できるのが人権の教えるところである。
56.たまには作者読者のことでも、彼は何者かについて。
人が書くことは書きたくなく、知らないことも書きたくない。となると、今頃あたりはネタ切れなのである。総裁選も労組も米中問題も共産党も、まだ書けるネタにならない。
他の政治コラムとかぶらないように、なるべく昨日今日の話題をネタにしない。独創的なことを書きたいのだが、独りよがりにならないようにデータを調べたり伝聞引用を多用したりして客観性を装っている。題名を除いて560字の短いスペースを目一杯使ってなるべく多くの内容を、日本語及び文法に則してわかりやすく書くことに留意している。
本当はとても政治を語る資格のない年齢・社会経験なのだが、何の奇遇か、昼間は政治のまっただ中にいて、夜は時々政治関係の勉強会に参加している。名刺入れの中には10数人の国会議員の名刺があるが、私の名刺は先方のゴミ箱に捨てられているだろう。ネット上で知り合った人と実際に会うのは至難の業で、「ああ私にも金と票があればなあ」と単純に思ってしまう。選挙には「五月病」になる位の期間と程度、関わったことがある。
政党本部へ単独取材したり、満場の中から挙手してパネラーに質問したり、好奇心と自己顕示欲は旺盛で、まだ怖いものを知らないようである。だから政治コラムを書いているのだろう。おだててくれた人に仕えてしまう癖があるが、幸い誰もおだててくれない。
57.国会はまだ開会中、重要法案審議中、について。
国会は予算審議が終わったものの、衆参各専門委員会で100本近くにのぼる法案を審議中である。法案の中には予算を執行させる法律や、報道の自由を制限するとの噂の個人情報保護法、ウーマンパワーでスピード審議が行われているDV法などがある。
しかし、自民党総裁選と参院選のおかげで報道が国会審議報道を放り出す。情報が入らないので国民は国会審議に興味を失い選挙の方に関心が行く。国会議員も国民の右に習えで国会審議に力が入らず、どちらかというと先生お好みの選挙の方に力が行く。となると国会審議は形だけになりがちだが、そこに報道による国会批判が入るとやりきれない。
大体、一私党のトップを決める行事をいちばん大きく報道する必要はない。報道付きの政治部各派閥担当記者がここを先途と大騒ぎするおかげで「国民不在、派閥争いの総裁選」ができあがってしまう。大体、自民党総裁選挙に国民が介入するいわれはない。党員が介入すべき事である。自民党総裁が100%総理大臣になるとは限らないし、経済も次の総理大臣は「折り込み済み」で動いている。総裁選よりもっと大事なことはたくさんある。
「永田町」は国会議事堂の所在地で、「悪い意味での政治」という隠喩にも使われているが、今の「永田町」は永田町以外の所で行われ、永田町の重要度は低くなりつつある。
58.皮肉っぽくボランティアを批判することについて。
政治や福祉の世界ではよく見かけるようになったボランティア、無償で人のために働くことである。「自発的な」という意味だそうで、永田町の一部では「奉仕活動」と同意義である。最近ではボランティアが大いに奨励されていて、学生はボランティアをすると単位習得や就職に有利になり、勤労者はボランティア休暇などの優遇処置が用意されるようだ。
しかし私は、ボランティアという崇高な意思による活動はその悪意に満ちた運用により散々な結果を生みやすいと思う。つまり、ボランティアした方がバカを見ることが多いということだ。例えば、ボランティア経験のある学生が某人事担当の所へ来る。人事担当は「あちらの仕事は無償でやるのに、なぜウチの仕事は有償でやるのかね」と問い詰めて、結果ボランティアに近い条件で雇用する。彼の会社は「仕事は自分の生き甲斐、仕事は自分のための人生勉強だと思って、見返りを考えずに働け」というのが社是だったりする。
選挙ボランティアや政治家秘書なんてまさにこんなものだと思う。ただ働きをボランティアと美化したに過ぎない。それで当人が満足しているのなら結構。ただこれからは、自発的にやっていると思ったら実は強制的なものに変わっていたりする「似非ボランティア」が増えると思う。重々用心してボランティアをやるかどうかを決めるべきである。
59.能力のない弱者が住みにくい世の中になることについて。
憲法第14条1項「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を私が改正するとしたら、「性別、」の後「社会的身分又は門地により、」の前に「能力、」を入れる。
これからの日本は、能力のない人が生きる権利を失うような世の中になるような気がする。能力のある人は能力のない人に、あなたはなぜ能力がないのか、あなたがこれから能力をつけるにはどうすればいいのかを教える義務があると私は思う。これは広い意味での教育で、若い人だけを対象としない全ての人を対象とした教育であり、国民の義務である。
今風の能力にはTPOが求められる。犯罪をやるための能力や既に廃れたことをやるための能力は今風の能力とは言わない。今風の能力を先天的に持てない事情のある人、今風の能力を習得する機会のなかった人、運が悪くて今風の能力と縁がなかった人、これらの人々は、これからのラディカルな能力主義や自由競争主義のなかで生きる権利を奪われる。
原初的な政治とは、能力のない人々も生きていけるように始まったものである。いうなれば弱者の救済のために政治がある。今の政治が一部の弱者に過剰な救済をしているからといって、弱者の救済自体を辞めてしまう政治改革をするのは政治の自殺行為である。
60.日本と韓国の外交交渉のやりかたについて。
米軍偵察機の墜落事件を巡って米中関係が緊迫したが、中国に拘留された偵察機乗組員はアメリカに帰ってきた。その後現在まで表向きでは中傷合戦が行われているが、アメリカの軍事機密漏洩を含む真の重要問題は米中間の機密外交交渉で解決していると私は見ている。ソ連に継いでアメリカに対抗しうる中国は、米ソ間で育まれてきた、相互確証破壊状態下における大国間の信頼醸成の極意をもソ連から受け継いでいるはずである。
米中関係が緊迫しても両国の駐在大使は任地に留まったはずである。普通は、駐在大使は自国民の避難を終わらせた最後に対戦国となった任地を去るはずだからである。そこで駐日韓国大使が教科書検定問題で日本を引き揚げたというニュースにはびっくりした。自国向けのパフォーマンスかなんかで韓国軍が今にも日本を攻撃してくるかとも思った。日本人全体の対外交渉もルールを知らない左右翼どちらも平和ボケだが、韓国人全体のそれも先のことを考えない乱暴なものだと言わざるを得ない。どちらも大国の外交ではない。
外交問題は相互信頼の上で機密に解決するのが大国の方法である。日本国憲法の通じない外国との交渉は国民主権を逸脱しても仕方ない。国民は外交責任者の結果報告を信頼するほかなく、従ってあらかじめ信頼できる責任者を選んでおかなければならない。
61.2001年4月下旬から参院選までの政治情勢について。
第151回国会は6月29日まであるのだが、既に閉会されたような感じがある。しかし自民党新総裁や新総理新内閣が決まると、補正予算が出る可能性があり、その場合は通常予算関連法案審議と併せて、残り2ヶ月で国会内でもかなり忙しい状況になるだろう。
補正予算は与党の選挙対策のために出されると思うのだが、新内閣が独自の政策を出すためにその編成が遅れるかも知れない。そうすると審議時間が短くなり、国会の予算審議機能がさらに損なわれるかも知れない。「1回の表に大魔神を出した」と称せられる今年度予算の補正予算は野党の総反撃に合い、与党は時間短縮を理由に強行採決する公算が高い。
しばらく自民党が政治ニュースを独占させそうである。報道が一政党のみ強調報道するのは良くないと思いつつ、やはり興味があって自民党報道を探してしまう。人々の無意識の中では未だ日本の政治は自民党を中心にして動いていると認識されているのだろう。
6月24日は東京都議会議員選挙投票日。7月29日は参議院議員選挙投票日。今の流動的な政局ではどの政党が有利かは皆目見当がつかない。現存の政党が崩壊したり、新党ができたりして政党構成が全く変わってしまう可能性すらある。候補者は政党より個人をアピールすることになり、有権者は候補者自身を調べて判断する必要がありそうだ。
62.最近の憲法論について。その1。
宮澤喜一現財務相が憲法50周年の1997年に述べた言葉で最初の600字を埋める。
「9条はじめ憲法は変えたほうがいいと言われる人々は、主としてこれまで戦前の日本のやり方についていろいろ記憶を持っている人たちでした。しかし、いま大事なことは、これからはそういうお年寄りじゃなく、戦前の個人的な体験のない大多数の人々だと思うんです。私は、そういう人たちが、よその国はみんな軍隊を持っているのに日本だけ持ってないのはおかしいんじゃないか、という点を中心に議論しているように思う。」
「そういう場合、私は『それはおかしいかもしれません。しかし、日本は軍隊を持っていて、過去に大変なしくじりをしてしまったのだから、もういっぺんそういうしくじりをしないようにしないといけない。だから、なるべくなら持たない方がいいですよ』と言います。でも、若い方が、『いや、もう絶対しくじらないから、もういっぺん持とうじゃないか』『あなたの言うことはあつものに懲りてなますを吹いている』とおっしゃるなら、私は『ああそうかもしれない。でもドイツのように賢い国が二度も間違ったのですよ。そして、その人たちは今度はそれをもう繰り返さないために、ヨーロッパの統合をやっているんだから。そこはよく考えてくださいよ』と言いたいのです。大変簡単に言っちまえば。」
63.最近の憲法論について。その2。
改憲論は、太平洋戦争時に徴兵を受けない年齢・待遇だった人々か、太平洋戦争により親族や財産や幸福な生活を失わなかった人々によってなされている。国会議員の3分の1議席分を守り抜いた1940年代から60年代の社会党の人々、1970年代から90年代では太平洋戦争で苦労を味わった自民党の人々が、改憲論者から憲法を守ってきた。しかし憲法の守護者は前出の宮澤氏や野中広務氏らを最後に枯渇しつつある。多分、そう遠くないうちに日本国憲法は改正されるであろう。これは日本人の宿業なのかも知れない。
中国韓国北朝鮮が日本の改憲論者の挑発にわざとらしく過剰反応しなければ、あるいはアメリカや先進国が日本をバカにせず覇権国主義を標榜しなければ、戦前の民主主義者みたいに戦後の護憲論者が共産主義や極端な思想や世界の無責任な思惑に絡められて国民の信用を失わなければ、改憲はもっと遅れ、あるいは改憲は行われなかったのかも知れない。
日本が憲法を改正するのはこれが最初。ドイツは何十回も憲法改正していると言うが、宮澤氏の指摘通り、ドイツはワイマール憲法を改正して2回国を潰している。日本はまだ1回しか国を潰していない。2回国を潰した国民は本物の自虐と経験を積むのであろう。改憲論者は、日本がもう1回潰れるかもしれないことを真剣に考慮しているのだろうか。
64.最近の憲法論について。その3。
自衛隊を軍隊とし、集団的自衛権を持たせる改憲案は悪くない。自衛隊の兵力を決定するため、どの国々が日本を侵略するのかを国民が知っておかなければならない。日本を侵略しそうな国々とは深くつき合わない方がいいだろう。食糧など日本の生命線の供給をそれらの国々に依存しないような体制を早急に築く必要がある。制度が良くても運用が悪ければ制度を含む全体が悪い。集団的自衛権を共に行使する国々に、集団的自衛権を正しく運用させる権力を日本は持つ必要がある。それが軍事力に頼らざるを得ないとしたら、日本の軍事費は戦前並みの巨額となり、日本は戦前と同じ運命をたどることになる。
勢いだけで、名声や収入を得るだけで、保身のためだけで改憲に走ってはいけない。日本及び日本人のために責任を持って改憲を唱えている人々は、そんなにいない。9条を改正するのだって、先に書いた何倍のことを憲法改正に関わる人々全てが考慮しなければいけない。考慮しなければいけないたくさんのことを、今の改憲論者は教えてくれない。
今回の改憲は最初で最後ではない。再び改憲が行われ、日本がもっと危険な状態に追いやられることも覚悟しなければいけない。憲法改正は是であろう。しかし、憲法改正は可能か不可能かという議論がまだ全然行われていない。これでは憲法は改正できない。
65.小泉新自民党総裁・新首相・新内閣について。
小泉内閣に民間人が3人入閣したが、2人が霞ヶ関官僚出身。やはり大臣は国民が選挙できる国会議員がふさわしいような気がする。民間大臣は辞任すると職がなくなるので任期が長くなる。官僚大臣が長期にわたって官僚を主導するわけで、政治主導の逆である。
逆に言うと、竹中平蔵氏を除いて、学者や企業人や言論人などの真の民間人というべき人々の入閣がなかったのが残念だ。たとえ小泉氏に断られても、日本の前途を憂いていた人々ならば「口先・筆先」との批判を脱するためにも自ら入閣を申し出るべきだった。
首相指名で小泉氏を指名した中田宏氏・三村申吾氏は、行動理由を人々に説明する責任があるが、合理的な選択をしたと思われる。彼らを院内会派から除名した民主党には党あって国無しの旧態依然とした政治観が観られ、政権奪取党として厳しい状況にある。首相は両氏を副大臣・政務官として閣内に迎えて、総力内閣を作ったらいかがであろうか。
小泉自民党総裁には、参院選・総選挙の自民党公認候補の見直しを行ってもらいたい。今の自民党の公認は昔の自民党勢力によって行われたものであり、これで小泉氏で選挙に勝っても、昔の自民党勢力が伸びて小泉氏は使い捨てにされるだけである。人々は小泉氏を自民党旧勢力との確執を楽しんでおり、このままでは自民党はやっぱり票は入らない。
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