
45.2月28日の村上正邦氏証人喚問について。
都合により、鴻池祥肇氏と簗瀬進氏の喚問を全く観ていない。申し訳ありません。
政府や与党がもし、村上氏と森首相に自分達の不祥事の全責任を負わせてしまう作戦に出るなら、与党質問も相当厳しいものになると私は思ったが、岡野裕氏も森本晃司氏もそんな感じではなかっただろうか。村上氏は両氏の喚問に対しても証言拒否を行っている。
桜井充氏は落ち着いた喚問ぶりで、他の野党陣と一線を画した。KSDと亀井政調会長らと労働省との関係(桜井氏自身が旧労働省幹部から重要証言を得ている)を追求。政府や与党の作戦の裏を突いた形となったが、村上氏は彼らを庇って喚問は不発に終わった。
筆坂秀世氏は共産党らしく自前の資料に基づいて喚問する場面があった。しかし、予算委員会で散々やった質問内容をまた繰り返した形で、有力証言を引き出すに至らなかった。
照屋寛徳氏は村上氏のゴルフ場会員権に関する喚問を展開。今までなかった論点で、照屋氏が村上氏の所へ寄って説明喚問するも、全く喚問と証言がかみ合わなかった。
堂本暁子氏は村上氏の参議院での実績を讃えて逆に反省を促した。戸田邦司氏・石井一二氏は持ち時間が短くて一通り村上氏の「罪状」を述べるに止まってしまった。
村上氏の証言拒否は潔白を表さない。村上氏は自分に不利な道を選んだのだろうか。
46.なぜ選挙に行かなければいけないのか、について。
「なぜ勉強をしなければいけないのか」「なぜ決まりを守らなければいけないのか」という質問に答えるのは難しい。その質問をした人を何としても納得させる答えが必要だからだ。題名にある質問もこの類である。政治コラムの書き手として何とか答えてみる。
人々全員が政治に参加する民主主義こそ最善無き次善の政治形態とされている。何よりも人々が好きなように世の中を動かせるという一種の「楽しさ」が民主主義には存在する。
人々が政治に参加するために、人々は政治を習得する必要がある。ギターを弾きこなすにはコードを習得する必要がある。国際舞台で活躍するには英語を習得する必要がある。
何事も習得するには、基礎から応用へ習得を積み重ねることが必要である。そして、選挙とは、政治の習得のいちばんはじめの基礎である。ギターのコードF、英語のアルファベットである。ポイントは、いちばんはじめの基礎は、理屈抜きで半ば強制的に、将来習得した時の楽しさを担保に、つらくても我慢してやらなくてはいけないところにある。
選挙は政治参加のいちばんはじめの基礎であり、政治を習得してその楽しさを満喫するためには通らなければいけない試練である。選挙が終わったらただの人に甘んじるようでは、最善無き次善の政治形態である民主主義の楽しさを味わう機会が無くなってしまう。
47.予算が衆議院を通過した日に株価が大幅に下げたことについて。
世論調査に答える人は何のペナルティーもないので、政府与党は内閣支持率にびくびくする必要はない。しかし、3月2日に株を売った人ほとんどの人は損切りしたのだろうから、これは政府与党には覚悟を決めてもらわないとならない。特に「景気回復のためには早期成立が必要」と政府与党が連呼していた予算が通過した日の株価の値下げである。
もっとも、政治を変えるのは選挙であり、内閣支持率や株価がよしんばゼロになっても、それが理由で政局が起こることは、民主主義の基本たる選挙を軽んずることになる。株価だって、対日勢力が空売りしているのかもしれないし、最近は日本にあまり責任のない材料で日本の相場が動きすぎるし、予算のなんたるかをよく知らない投資家が結構多くなっているかもしれないし、まだ日銀の買いオペレーションが来ていないし、流動的である。
実際的には、今回の株価下落でダメージを受けた企業が政府与党への人的物的援助を止める決心をしたときに、政府与党は白旗を揚げることになるのだろう。経済界代表で自民党比例の参議院議員候補がいるが、彼が自民党からの立候補を取りやめたら相当なものである。そして、中小企業代表や新業種企業の代表、あるいは日銀の代表が野党から出馬するようになれば、いよいよ政権交代が現実的なものになるのかも知れない。
48.なんだかかわいそうな河野洋平外相について。
3月7日の参議院の予算委員会で、共産党の筆坂秀世氏が、「個人のプライバシーに関わるものなので理事会の場限りで公開」と衆院予算委員会理事会で申し合わせた資料を用いて外交機密費問題で河野洋平外相に詰問し、さらに筆坂氏が余りにも共産党主観的で、答弁を理解する姿勢を持たない質問を浴びせたことに対して、河野外相は、自民党関係者が「あんなに怒った河野さんを見たことがない」と言わしめるほど激昂する場面があった。
野党が本気で外交機密費問題を追求するなら、捜査関係者や当時の外務相関係者を次々と証人や参考人に呼んで事情を聴くべきである。河野外相や福田官房長官だけをつるし上げにするのは政局がらみの自民党いじめの魂胆が見え見えで、印象が悪い。
それにしてもかわいそうな河野外相。本来なら実習船衝突事故後すぐにアメリカに飛んで首脳レベルの外交を行い、中国や韓国の限りなく内政干渉に近い行動に対し日本政府としての断固たる態度を示し、外相として大活躍できる舞台があったのに、国会で日本人にいじめられて日々をつぶしている。宰相吉田茂は「外相というのは、国民が信頼しさえすればいいので、外国人が喜ぶ外相というのはかえってよくない。あの人がハンを押したから大丈夫だ、と国民が信頼することが大事だ」という哲学を持っていたそうだが。
49.政局も野党も国民の注目を浴びるようになったことについて。
内閣不信任案が否決した約1週間後に、首相が辞意を表明することになった。野党がいうように国会軽視の感は否めない。報道も今回の政局の奇異ぶりに批判的である。
しかし、佐藤栄作元首相が首相を辞任する政局ではもっとすごかったらしい。1972年6月9日に佐藤首相は辞意を漏らす。しかし、6月15日に衆議院で提出された内閣不信任案は自民党の反対で否決、16日に参議院で提出された首相問責決議案も否決された。そして、17日に佐藤首相は正式に辞職を表明したのである(新聞記者を追い返した記者会見で有名)。政局は既に田中角栄・福田赳夫両氏による跡目争いに焦点が絞られていた。
昔は国民が政治に興味を持たなかった。この後、「選挙の神様」田中角栄首相の元での総選挙が12月10日に行われ、自民党は議席を減らしたものの、当たり前のように絶対多数を取った。それ以前に昔は自民党と野党は水面下で協力していた。与党は野党の言い分を一部取り入れた法案を通したし、野党は与党と相談して審議拒否や乱闘を行っていたらしい。まず可決されない内閣不信任案を提出しても、野党は誰にも文句は言われなかった。
今の野党は国民にも報道にも相手にされているし、何よりも与党に「敵」と認知されている。野党も今が華である。過ぎ去ってから「あの時が華だった」などと言わないように。
50.3月13日の自由民主党党大会について。
3月13日の自由民主党党大会がインターネットにより全国で中継されたことは、日本政治にとって画期的な出来事であったと私は思う。箝口令が敷かれていたと言われるが、荒れると思われた党大会を粛々と行わせる威信と、それを全国に発信できる技術とを全国に知らしめた自民党は、まだまだものすごいエネルギーと持続性を持っていると思う。
驚いたのは、「2ちゃんねる 議員選挙板」の皆さんの党大会への関心の高さで、関係スレッドは1000レスを数え、「NHKは中継しないのか(不偏不党の真逆であるが)」とか「森首相の演説は良かった(河野太郎代議士もメルマガでそう述べていた)」など、内閣支持率並みの率で割と好意的な反応があった。これは、地方までインターネットが使いやすく浸透したら、自民党への関心や支持率が増えることを示唆しているのではないか。
地方組織の意見開陳を封じて粛々と党大会をやった自民党党本部の決断はある種のリーダーシップというものなのだが、それが吉と出るか凶と出るかわからないところもリーダーシップの特徴である。現場で体を使って自民党を愛し支えてきた、だからだから自民党に言いたいことはたくさんある、そういった一癖も二癖もある人々が自民党の強固な支持者層だったはずである。自民党は、強いけれど弱い自らの姿を党大会で見せたのだと思う。
51.まだまだ予算委員会について(私の反省つき)。
報道だけに接していると日本政治は空転しているようでも、実際参議院では予算委員会が行われ、予算関連法案は衆参各専門委員会で審議され、それなりに粛々と動いている。
私も無責任に「予算委員会では予算のことが議論されない」などと書いているが、いざ予算が議論されると、その内容が専門的且つ高度過ぎて私には理解できずに聞き流しているのだから情けない。ごめんなさい。まあ大学のゼミみたいなもので、質問者は教授のように自分の専門分野をしゃべって、答弁者はゼミ生のように事前に質問通告されて作成した紙を読み上げているのだから、端で聞いている我々にはついていけないものがある。
せめて「予算書の何ページは…」とか、予算書や関係書類を参照して質問してくれたらこちらもわかりやすいし政治の勉強にもなるのだが、相変わらずソースとなっているのは責任感の薄い報道情報が多くて、答弁できないことがわかっている質問が党利党略質問者の点数稼ぎのために繰り返されている。野党は予算委員会で疑惑を持ち出し過ぎるから、内閣不信任案や問責決議案や証人喚問などの大事なところで結果を出せない。これからは、娯楽番組としてではなく政治の現場の中継として国会中継を観る人が増える。予算審議を国民にわかりやすく行うための予算委員会運営を与野党問わず考えてほしいと思う。
52.千葉県知事選挙について。
「2ちゃんねる 議員・選挙板」では千葉県知事選挙の話題が高いレベルで多くのボリュームで繰り広げられている。その割にはマスコミの報道が少ないが、興味深い選挙だし、今後の政局を動かす選挙になりうる。私なりの選挙予想を有力3氏に絞って紹介する。
堂本氏は実質落下傘候補であり、政策も弱く、地域性が重視される知事選挙ではどうかと思われる出馬である。しかし、出馬の足掛かりとなった地元の支持母体の存在が堂本氏を支える。ソフトな感じの女性で知名度が高く(kinki kid'sと同姓だという事実は大きい)、左派の戦略的投票の受け皿となりうる。都市部の票をどれだけ獲得することができるか。
岩瀬氏不利が伝えられているが、挽回が予想される。自民党復党時から知事選を目指していたとされ、事前の準備は万端だろう。自民党は単発選挙になると組織をフル回転させて党本部の指令で人海戦術を行う。選挙運動をやるほど票が増える体質の政党なだけに強い。農村部を押さえている上、政局の挽回や公明党の連携が加わると逆転が考えられる。
若井氏は議員選挙板の皆さんには認められている。政策は持っている人なのだろう。しかし、民主党の選挙は候補者任せで、党本部からも地元民主党からも組織的な援助はほとんどない体質なのが痛い。与党批判票を総取りできないと先詰まりの厳しい選挙となる。
53.いわゆる「1票の格差」を別の視点から考えてみることについて。
自民党が選挙に強い理由の一つに、いわゆる「1票の格差」問題があるという議論がある。つまり、自民党が強い非都市部選挙区では都市部選挙区に比べて議員一人当たりの有権者数が少ないので、非都市部の議員は比較的少ない得票で当選が可能であるという議論である。「1票の格差」問題を解消するには選挙区の区割りの見直しを行う必要があるが、選挙は議員の死活問題なだけに、区割り見直しの実現には相当の紆余曲折があるだろう。
しかし、都市部は一般に投票率が低いという現状がある。そこで、「1票の格差」問題を有権者数単位ではなくて投票者数単位で計るとどうなるか。ある試算によると、2000年の総選挙で投票者数の最も少ない選挙区は高知2区。そして、高知2区の2倍以上の投票者数を有する選挙区は、300選挙区中17選挙区しかない。さらに、投票者の2番目3番目に少ないところがなんと高知3区、高知1区(高知は3選挙区しかない)。従って、投票者単位で「1票の格差」を2倍以内にするためには、高知の選挙区を3選挙区から2選挙区にするだけでほとんど解決する。なんともあっけなくこの議論は終了するのである。
異論があるだろうが、それでも都市部は投票率が少なすぎる。しかも、候補者の人数に関係なく、非都市部では大体3人に2人は投票しているのだから文句は言えない。
54.福田官房長官の選挙に対する発言について。
3月26日の千葉県知事選挙で政党の支持を受けていない堂本暁子氏が当選したのを受けて、福田内閣官房長官が「世論に迎合するというと言い過ぎかもしれないが、国民受けのいいことを言うのは簡単なことだ。問題は実行力で、知事になって実行できる力をどこから得るのかという問題もある」と述べた。この発言は「大失言」か「大提言」だと思う。
この福田官房長官の発言は余り報道されていないし、この発言に対するコメントもほとんどない。しかし私には、この発言は「有権者は寝ていていい」と脚色されて大失言となった森首相の発言に匹敵する、国民の一部を愚弄し、公人は遵守しなければならない民主的に定められた制度の一つである選挙制度に不当な手続きで挑戦する発言だと考える。
当選された人の資質に対する判断は、当選された、あるいは当選を阻止しなかった有権者が決めることであり、政府高官の公式めいた発言で決めることではない。今の選挙制度では資質が疑われる候補者の当選も予想できることであり、それを阻止したいのであれば選挙制度並びに国民主権原則を改正する法案を国会に提出するのが筋である。
政府高官並びに報道界の代表数人に対する証人喚問などの手段で、政治と国民との関係について議論する必要があるのかも知れない。現在の報道と政府の対立は危険である。