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28.政治と人々とのギブアンドテイク関係は、人々が規定したい、について。
あけましておめでとうございます。作者読者です。ここは自作自演の政治コラムです。実はWordで40×20の800字になるように(題名含む)下書きしてから出しているのですね。いつもは「である」調ですが今回に限り「ですます」調です(特に意味なし)。
政治に興味を持って、がっかりすることの一つは、「政治では、票と金を集めるのがメインの仕事である」ということです。特に、野党で、理想が高くて、組織を持っていない、結構人々が期待を寄せているだろう政党が、ほとんど無償で人々から票と金を要求します。
人々の世界はギブアンドテイクですが、政治だけが人々にとっては「ギブアンドギブ」になります。野党の政党や政治家はきれい事を言って人々を搾取する詐欺師か乞食か、と、人々が政治を嫌うか、見返りのある与党を支援するようになるのですね。
これからの政治は人々が広く関わる政治になっていきますが、政党も人々に頼るけれど頼られたくない、ご意見を頂戴するが返事は出さない、金や票は欲しがるがお返しはしない(法律で出せないように制限されていますが)ではなくて、人々とギブアンドテイクの関係になってほしいと思います。せめて、人々と契約関係になって欲しい。
確かに票の売買はできないし、今まで政治と人々との関係が現世利益すぎたきらいがあるから、逆に政治が人々に寄生する風潮が良いとされてきたのでしょうが、両極端過ぎる。人々はもっと政治と良い関係が結べるようになるはずです。
これからの政治は人々の方が政党や政治家を変えていくことになればと思います。政党や政治家が何をすれば人々は支援するのかは、これからは人々が決めていくことだと思います。これからもなるべく、政治の人々参加の形を考えていきたいと思います。
29.有償の仕事と無償の仕事との違いは何だろう、について。
皆さんは当然お金を稼げる仕事をやってお金を使って生活しているわけだが、「なぜ自分のやっている仕事でお金を稼げるのだろう」と考えたことがあるだろうか。
まずないであろう。当然のことだとして意識に上らないから。でも、お正月の暇を利用して少し考えてみると、結構いろいろ社会的・政治的に考えさせられる。
どうして専業主婦は無償の仕事なのだろうか。卑しい仕事だから、ではないとすれば、モノや使えるアイデアを創造する仕事ではないからなのだろうか。では、既に生産されたモノやアイデアを維持する仕事は無償の仕事なのか。公務員や政治家はこれからはNPOやボランティアでやる無償の仕事になるのであろうか。企業自体は生産的だが、企業内で生産的でない仕事は、これからは無償なのだろうか。誰かが片手間にやる仕事になるのか。
床屋さんは無償で、美容師さんは有償か(そういう微妙な法律ありそう)。江戸時代のように、ゴミの収集は向こう三軒両隣のボランティアで行うべきなのか。では、専業主婦もゴミ収集と同じで政府が給料を出す制度にした方がいいのか。給料の査定は誰がやるのか(どこかで専業主婦の「給料」を試算していたはずだが、何が根拠なのだろう)。ところで皆さんがやっている仕事よりも、趣味の方が生産的なら、趣味の方でより高い報酬をもらう権利があるのではないか。自分の職業は社会の役に立っているから報酬がもらえるのだろうが、給料の査定はその仕事の恩恵を受けた人々がやるべきではないか。
今まで有償だった仕事が、考え方の変化により無償の仕事になったり科学技術の発展により機械がやってくれたりする時代になり、有償の仕事は減るだろう。必然的に有償の仕事のない人が増える。そんな社会を今から想定しないといけないのではないかと思う。
30.今年前半の政治日程について。
今年前半の政治日程は、まず1月終わりから6月にかけて通常国会で、7月は参議院選挙ということになる。その中で、3月終わりまで予算審議、6月には都議会選挙がある。
まず、検察が国会議員に手を出せるのは通常国会開会までの1ヶ月間である。
今から予算審議までの3ヶ月は当然与党ペースで進み、野党は何もできない。政治の多くは予算配分で、その予算配分権限は与党が握っているのだから、官僚も報道も与党側につき、多くの国民も「本当の政治がわかった」と思いつつ与党の応援をするのがこの頃である。多分予算関係のニュースは細かい大事なところは報道されず、与党議員の大げさな動きだけが報道される。野党は雌伏の時で、難しい予算情報を解析してミスを見つけたり、選挙協力の根回しをしたりと地味な仕事に集中するのが得策で、間違っても野党内政局なんぞで目立とうと思ってはいけない。国民にあきれられるだけである。
予算が成立しそうな時期になると、もしかして内閣の改造があるかもしれない。最大の関心事は首相の交代である。現時点で首相の交代の可能性は五分五分と私は見ている。多分予算編成が野党の抵抗が不十分(制度的にそうなっているのだが)で楽に成立するので、与党には勝利的雰囲気が流れているだろうからである。ただ景気の先行き如何においては(各週刊誌は売らんかな主義で日経平均10000円割れと勝手にハードルを低くしたが)、経済界や財界が現内閣に見切りをつけることもあるかもしれない。
都議選は政治や政党の本当の姿を見極める機会になると思う。詳しく都議選を調べてみると、政治って娯楽なんてとんでもない、生活に密着したドロドロしたものだという事実がわかりそうな気がする。ここをどうやって抜けるかがその後の政治の鍵になる。
31.普通のgive and takeが当てはまらない政治の世界について。
(すみません、急いで書いたので考えがよく練れていません。危うく書き忘れる所でした)
最近私は「政治のgive and take」について日々考えている。普通の世の中はgive
and takeの関係で成り立っているが、政治が絡むと例外が生じる。なぜ例外が生じるのか。
例えば、政党という団体は党員から集められた党費と支持者による献金とで運営される。すなわち特定の人々からtakeを受けているわけだが、政党は建前的には全国民の福利厚生の向上を目標に活動している。つまりは全ての人々にgiveしているわけである。
この手の「特定の人々からtakeして、全ての人々にgiveする」という特殊な関係は、富の再分配や不平等の解消を任務とする一部の政府部門にも当てはまる。しかし、逆に不平等を創出しているのではないかという議論が当然あって、よくよく考えてみればこの手の政党や前出の政府部門にgiveしてそれに見合うtakeをもらってない人々は何が楽しゅうてこんなことやっているのだろう。わからないものである。
だって、宗教法人や特殊法人や非営利団体はそれでも「特定の人々からtakeして、その特定の人々にgiveする」といった方針で運営されている。政党や前出の政府部門に妥当なgive
and takeを求める方法だってあるはずなのだ(その多くは法律に違反するため、かなりの能力を必要とするが)。やはり黙々と不平等にtakeしている人々は不思議な存在だ。
わからない、不思議だとこっちは勝手につぶやいているが、これは政治の面白さなのであろう。例えば「政治は生き甲斐である」「政治は趣味である」「政治は保険である」「政治は(天が下したか自らが下したか、いろいろあるが)使命である」などといった理由を漠然と考えてみた。なんだか政治の根幹について考えている気分になる。
32.参議院選挙神奈川情勢について。その1。
1月8日の成人式における各候補の動き(神奈川新聞より)。自民党小林氏は川崎市の成人式会場周辺で新成人と握手、演説はせず。公明党松氏は同党主催の「21世紀の教育を語るフォーラム」に出席、会場に集まった新成人らと議論。共産党宗田氏・社民党井上氏は横浜市の成人式会場付近で演説。民主党斉藤氏は街頭には立たず、午前中は横浜市、午後には藤沢市の会場にて来賓として訪れる。自由党村本氏はマレーシアに出張中のため成人式に合わせた活動はなかった。どっちにしろ当の新成人は無関心だったとか。
私の住んでいる横浜市某区では、ポスターは松氏が多い。宗田氏・井上氏・斉藤氏がちらほら。出馬の遅い小林・村本氏はまだポスターを見かけない。民社系民主党議員や自民党議員のポスター掲示板に斉藤氏・小林氏のポスターがない。最寄りの駅での朝立ちはまだ見られない(7時から8時の時間帯にやっているらしく、私は間に合わない)。
民主党が連合の主導により複数擁立を諦めたことにより、神奈川では自民公が有利となり、与党が2議席取る情勢である。自由党村本氏自身はやる気があるのかわからない。しかも村本氏が代表をやっているIT企業というのが、ネット監視を業務としていたらしく、いまいち印象が悪い。まあ政治無関心層にこんな情報は伝わっていないだろうが。
今のところ、どの候補にも不安定要因があって、机上の理論では番狂わせがあり得る。小林氏は地元の支持をつかめるか、斉藤氏は保守系無党派層に逃げられないか、松氏は公明党アレルギーをもろにかぶることはないか。従って他の3氏が流れに乗って投票日に逆転なんてことも充分考えられる。あるいは新しい候補者の出現があるかも知れない。中央情勢がどの党に有利になるかは全然わからないし、まだこれからである。
33.予算審議は与野党ともに積極的にやってほしい、ことについて。
1月31日から通常国会である。本当は通常国会の前半は今年度の予算を審議するのがメインだが、最近は野党が与党を非難するだけのために通常国会をやっているような感じがある。今年の通常国会は、与党の過失は見えなくなったし野党はその追及が難しそう、国民の政治への関心を深めるために今国会は予算審議を徹底的にやってくれたらいいなと思っていたら、そうはいかないもので、KSDなるものおかげで与党の参議院議員に逮捕者が出てしまった。こうなると野党は喜んで、いつもの与党非難を始めてしまうだろう。
希望としては、政権担当能力をアピールする野党があるならば、その野党は与党批判を他の万年野党に任せて、予算審議をやって与党のお株を奪って欲しい。間違っても、「国民の皆さん方が今一番知りたがっていること、気になっていることから申し上げたいと思うんです。それは、疑いもなく官邸疑惑の問題でございます。」などという姿勢ではいけない(前国会で野党党首が首相にこう切り出した)。政治に真摯に携わっている人の今一番の関心事は予算、景気、経済、自らの生活の改善のための方策ではないのか。野党が予算審議をやるべき時に予算を後回しにした国会運営をやるから、野党には責任がない、政権担当能力がない、頼りにならないと、政治への関心が深まった国民は感想を持つのではないか。
34.首相公選制を思い切って批判することについて。
首相公選制を、政党に属している人が提唱するのは党代表に失礼であり、党則違反で処罰すべきである。ましてや政党の綱領に首相公選制を挙げるのは政党の信用に関わる。政党にとって、その代表を首相にするための国民の支持を集めるのと、その代表を首相にするために必要な議員を集めるための国民の支持を集めるのとは別問題なのだろうか。
また、今の段階で首相公選制は、国民が首相を選ぶのではなく、報道が首相を選ぶ制度になる。首相選挙は全国区小選挙区制であるが、参議院選挙制度改革で全国区を批判した人たちは、首相公選が全国区であることを考慮しているだろうか。多分報道が前面に立って選挙をリードすることを前提にしているから議論が成り立っているのだろう。
首相を国民が選ぶ方式になったとして、その投票率は総選挙より上がるだろうか。アメリカ大統領選挙の投票率は登録制していない人を抜かした上で有権者の半分ほどである。タレント候補を廃除する措置を施すと、ほとんど普通に政治家を選ぶ選挙と変わらない。大体の国民は「首相」とは何をする人か、完全にはわからない。一部の組織票によって偏った思想を持つ首相が「国民の信任を得た」形になって首相になって、独裁をやられては、日本は世界から、歴史から、とんでもない馬鹿な国民性を持った国だと思われる。
35.KSD事件に対する政界の動きについて。
KSD云々が政界を覆っている。外務省機密費事件とあわせて、駆け込みで検察が動き出したと見える。ここ数日数週間は当分KSDであろうが、ここらで意見を述べてみよう。
「論座」2001年2月号で、堺屋前経企庁長官が「官僚主導の政治に戻そうとする人は、もっぱら、政治家のスキャンダルを持ち出すのです。それによって、政治家に権限が行くのを阻止しようとするのです」と意見している(KSD事件を示唆しているのではない)。賛否はあるだろうが、私は堺屋氏に賛成で、政治主導を目指すのなら、人々は官僚のあらゆる政治家攻撃の意図や正邪を慎重に判断する必要があると思う。
額賀経済財政担当大臣が大臣を辞任して、野党や報道は喜んでいるが、一番喜んでいるのは官僚で、短命大臣や無能(?)首相が政治主導なんてできないことが証明できて相当嬉しいはずである。本当は額賀氏には議員を辞職して民間人になってでも大臣は続けて欲しかった。額賀氏の能力を買って与党は彼を重要ポストにつけて政治主導の足がかりにしようとしたはずである。額賀氏とKSDとの法律違反なおつきあいは彼が議員職を続けるためのもので、大臣ポストとは関係ないと思いたい。額賀氏が大臣辞任を渋ったのはわかるような気がするが、私は彼に次回選挙の比例1位を引き替えに議員辞職して欲しかった。
36.与野党の代表質問へのリクエストについて。
1月31日から通常国会である。久しぶりに与野党が議論を戦わせ、TV中継によって国民の目に触れる(まあ視聴率は低いが)代表質問が行われる。
もしかして野党は一斉に同じ内容の疑惑追及をやるのかも知れないが、それだと政府与党側は民主2人・共産・自由・社民かける衆参の2回で10回も同じ答弁をやらなければいけなくなる。時間の無駄だし、それなら野党は一つで充分である。
政権奪取を目指す野党があれば、質問よりも自党独自の施政方針演説をやって欲しい。万年野党の無責任ぶりを脱し、与党質問でその「施政方針演説」が袋叩きに合うのを覚悟の上で演説してくれないと、国民はその野党に政権奪取を認めないと思う。
与党は自らの立場を明らかにし、もっと野党の欠点を攻撃していいはずである。先の内閣不信任案反対演説、あの中馬弘毅氏の演説並みの演説を行い、検察と報道によっかかっている野党を叱りつけるべきである。与党の支持者はわかってくれるはずである。
施政方針演説・代表質問は与野党とも大事にして欲しい。選挙時の各政党の政策方針になるのはこれらの演説や質問である。報道やコラムニストもこれらを引用して各党の評価をするものだ。雰囲気に流されずに、党を代表するような演説・質問を期待したい。
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