279.さすがに不安すぎる今年の年明けについて。
 去年の2月11日に、私は「2007年も平凡な年になるだろう」と書いた。2007年は選挙や各国元首の交代などが例年通り行われたが、ミャンマーのデモとその弾圧や、パキスタンの憲法停止とプット氏の暗殺、アメリカのサブプライムローン焦げ付きから始まる世界不況など、予想しなかった「偶然」から起きた大惨事も勃発した。
 今年は正月早々、箱根駅伝で3つもの大学が途中棄権に見舞われ、アメリカ不況の影響で4日の大発会では日経平均株価が半日で一時765円も下がった。どうも不安だらけの年明けである。2008年は、偶発的大惨事が起きるのを覚悟しなければならないかもしれない。
 今から大騒ぎのアメリカ大統領選挙が行われる11月。それまでに、中国では夏にオリンピックがあり、同国の順調な経済成長はここで停滞する。日本では6月にサミットがあり、この前後に解散があるとされている。2008年は京都議定書が発動される「環境目標達成の年」であり、それだけに目標達成の困難さから国同士や企業家庭間での責任の押し付け合いが増えそうだ。去年から独裁的な発展途上国の政情不安が報道されている。アメリカの次期大統領が決まる頃に世界は激変している可能性があるし、その次期大統領の外交政策により国際的紛争が起こって日本も巻き込まれ、来年の今頃は私あたりは生きているかどうかもわからない。そんな年かもしれない。


280.民主党が対案を出してみたとしても、について。
 前回の訂正。洞爺湖サミットは7月開催だった。6月と誤記したことをお詫び申し上げます。サミット後の解散を考慮しているかわからないが、自民党選挙対策副委員長の菅義偉代議士が選挙区にポスターを貼り始めた。公明党のポスターは既に張り巡らされている。
 さて、「民主党は反対のために反対している、政権を獲りたいなら対案を出してみろ」という意見が政府与党やそちらよりの言論から出ている。そこで先の臨時国会で、一度は見送ったテロ特措法の独自法案を民主党は提出したわけだが、今度は「このようなザル法を作るとは民主党は政策が全くわかってない」と叩かれている。
 しかし恐らく、国会は素直に政策論争できる場所ではない、そう私は思う。もし民主党が本当に素晴らしい法案を提出したとする。その法案はすかざず否決されるが、その内容は「パクられて」、次国会の政府案になって可決され、政府与党の手柄になってしまう。
 今の通常国会でテロ特措法を恒久化しようという動きがあるようだ。民主党はこれを見越して、しかし対案を作らないことには世間受けも悪いので、理念だけは高々と掲げたが、わかる人には「ザル法」となる法案を作ったのではないか。私がこう考える具体的根拠はないけれど、ただやみくもに批判するよりも別の視点ができる。
 選挙はまだ遠い。ねじれ国会での与野党の心理戦は続くだろう。


281.2008年2月の国会と対外情勢について。
 今通常国会は、道路特定財源の暫定税率維持を地方自治体のほぼ全ての首長が要請したことから政府与党有利となっていたところ、沖縄県でのアメリカ兵少女暴行事件に次いで自衛隊イージス艦と漁船との衝突事件が勃発し、一転外交防衛から政府与党が窮地に陥った。ただし、三浦和義氏のアメリカでの逮捕事件のためにテレビワイドショーや週刊誌が一旦政治から目を放している。恐らく3月末には野党が譲歩して予算が成立する平穏状態が訪れるだろうが、人権保護法や外国人参政権付与問題で与野党ともに意見が分かれており、与野党議員や知事を擁する「せんたく」議連が発足するなど、今までに無い「本気の政界再編」を予想させるような動きもある。
 北京オリンピックを控える中国から、「毒物混入ギョーザ」を日本に輸出したとの疑惑が出てきた。サッカーや卓球のアジア選手権も中国で行われ、現地に向かった日本人に差別が行われたという問題が起こっている。さらにアメリカ大統領選挙では共和党はマケイン候補がほぼ指名権を獲得した一方、民主党ではオバマ候補とクリントン候補とが後に禍根を残しかねないような争いを演じている。
 この状況下、あらゆる政治関係の言論が「与党系」「野党系」か「左派」「右派」に分かれて互いに批判しあっているのが目立つ。私はとりあえず見出しを羅列することでとりあえず体裁を保つ。


282.民主党は石破大臣を辞任させない方がいい事について。
 自衛隊イージス艦が千葉沖で漁船と衝突した事件は、それ以前に護衛艦「しらね」の火災事件があったり、再び情報伝達の遅れや「インテリジェンス」に基づく情報公開忌避があったり、漁船が「テロ船」だったら、という仮定が生じたり、さらには税金を使いすぎて装備を調達する一連の防衛不祥事の延長にある。国防は国民の命を守る国の責務の第一であり、国防がこのような状態では国民の信頼を失い、それこそ国益を害する勢力に隙を突かれる恐れがある。
 石破防衛大臣は「軍事オタク」と言われるが、民間軍事評論家との共著もあり、官僚にあまり頼らずに防衛装備調達を始めとする改革を行おうとする意識があり、それゆえ防衛官僚からあまり好かれていなかったと思う。石破大臣が国会答弁を二転三転させているのも、大臣の下に故意に確かな情報が届いていないからだと思う。
 今石破大臣に全責任を負わせて防衛大臣を辞任させるのは防衛官僚に利する。もし政権交代が起こって民主党の防衛大臣が誕生したら、「どうせ嫌な大臣が責任を取る」からと、気が緩んだ官僚によるこのような事故が頻発する恐れがある。石破大臣に責任を持って今回の事件の人事的処分を行わせるのが、民主党の仕事であろう。
 共産党や社民党が石破大臣を責任追及するのは党是からして仕方が無い。日本の国益そのものを損害しない程度にお願いしたい。


283.日経平均株価の下落と野党批判について。
 3月12日東京株式市場の日経平均株価は、前日のアメリカ株高と円安の影響を受けて、9時の寄付きから30分で400円以上上昇したが、それ以降徐々に下落し、終値の上げ幅は202円であった。株価が最高値を指すまさにその時、参議院では武藤敏郎氏を日銀総裁とする人事案が野党の反対多数で否決された。これを受けて各新聞は、株価の下落は日銀総裁人事に対する野党の対応が原因であると報じ、野党の対応が変わらなければ日本市場は混乱し株価下落が続くと、市場関係者の証言を混ぜながら、一斉に野党を批判した。
 与野党の政治家やその応援団たちが自らの正当性を訴えてかみ合わない議論を言い合う状態だった日銀総裁人事問題だったが、現実にお金や生活が動く株式市場でメッセージが出たことは大きい。常時は与野党系に分かれるマスコミが一致して野党批判に回ったのも、市場のメッセージの重要性と緊急性を感じとったゆえであろう。
 ただ、市場には「織り込み済み」というファクターがある。日銀総裁人事が難航するのは昨年参院選時に予測し織り込み済みできたはずである。参議院での人事案否決と同時に株価下落が開始されたのは単なる偶然、あるいは別の要因だと考えることもできる。アメリカの株安はアメリカ大統領選挙が要因だ、という論者はいないだろう。従って今回のマスコミの一斉野党批判には、私は少し驚いた。


284.道路特定財源は一般化されるだろうことについて。
 福田総理大臣が「道路財源一般化」を与党の政調会長に指示したということで、流れは道路財源一般化に向かっていったと私は考える。しかし、共同通信社3月15・16日電話調査では、道路財源一般化賛成が「60%近く」と案外低い。自動車の利用者のみが支払う税は、自動車利用者のために使うべきだ、という考えが未だ根強い。「負担」と「受益」とは関連性を持つべき、といわれる。
 しかし、酒税はお酒を飲む人々のみが支払う税であるが、酒税はお酒の飲む人々のために使う「酒税特定財源化」を行うべきではないのか。あるいは「たばこ税」もたばこを吸う人々のために使われるべきではないか。この空想的な話、正直ウケると思う。なぜなら自動車を多く運転して道路特定財源に関わる事業者さんたちを始めとする中高年男性のかたがたは、同時に酒を飲みタバコを吸い、これらの高税率に不満を持つかたがただからである。酒を飲みタバコを吸う人々に公平であるためにも、道路財源は一般化すべきである。
 あとは徴収された税が、国土交通省が使うか財務省が使うかの問題である。道路財源が一般化すれば国土交通省の利権が消えて道路族が困る。しかし、「大蔵族」は喜ぶから道路財源一般化は実現可能なのである。道路財源一般化が実現すれば、「道路暫定税率維持」問題が単純明快化し、ねじれ国会も経験値を積むことになるだろう。


285.無謀にも600字で「神」を論じることについて。
 「あなたは神を信じますか」「God is, but is not for us.」
 未だ解明されないモノを「神の使い」、未だ解明されないコトを「神の仕業」と考える。「神」とは「未だ解明されない事象」の象徴である。人類は、事象を解明することによって、「神」の領域を少なくしていった。しかし、今でも解明されていない、あるいは永久に解明しない事象は存在し、従って、「神」は存在する、といえる。立方体のサイコロを振って出る目を決めるのは「神の仕業」である。人類は「6分の1の確率で出る目が決まる」ことまで解明したが、次にどの目が出るかを完全に解明することは不可能だろう。
 方程式を解くときに、未知の数字を「□」や「x」に置き換える。この「□、x」は「神」を記号化したものといえ、方程式を解いて「□、x」を解明することによって、人類は神の領域を減少させ、進化していったと考えられる。論理的な「神学」の考え方である。
 ここでいう「神」、あるいは宗教的な「神」は、あくまでも人類に対する概念としての「神」であるが、本来の神は人類のみとは相対にせず、全存在と相対する。従って、主に宗教により、人類が創造した「神」は、厳密には神ではないと思う。人類は「神」の領域を減少させることができるが、神は次の一瞬で全存在を滅亡させることができる。人類によって神が作用されるなんてあるわけがない。


286.統一地方選挙投票日から1年たったことについて。
 「2ちゃんねる」某所で久しぶりに選挙の話をしていたら、今頃気づいた。昨年の昨日、4月8日は統一地方選挙の投票日であった。
 作者読者の中の人は、2月から某新人候補の手伝いを行い、この日、開票所で負けたことを確認した。質量共に完敗であった。しかし、開票所で私が見たものは、様々な筆跡で書かれている、私の手伝った新人候補の名前の書かれた投票用紙であった。いかなる思いで、この名前を書いてくださったのか。感謝と達成感と、名前を書いてくださったかたがたに失礼なことをしたという気持ちが残った。
 しかし、本当の「完敗」はこの投票日から始まった、ともいえる。当選者が地元で議会で頑張っている一方、新人候補は別の政治家の腹心になった。私は無職となって政治どころではなくなってしまった。従って、我が陣営は選挙区に足を運ぶこと、有権者にお会いすることもままならなくなってしまった。今日「投票日」を迎えたとしたら、「完敗」は「惨敗」「不戦敗」になっていたことだろう。
 たまに私が選挙区に行って、お世話になったかたがたのお話をうかがっても、地元で活動していないことへのご不満がよく出てくる。昨年は「ビギナーズ・ラック」であり、徐々に政治の厳しさが来た、と感じる。落選者が次の選挙で雪辱を果たすのには、「失礼」を重ねることから初めて、並々ならぬ努力と犠牲が必要であると感じる。


287.一見なんでもない名称の法案について。
 平成14年3月7日に書いた、私がまだ国会議事堂に通っていた頃のメルマガ「議事堂の片隅から」に、こんな文があった。「3月末頃には法案約100本、条約14本が出揃う。中には、『情報公開・個人情報保護審査会設置法案』という論議を呼びそうな法案、『健康増進法案』という『なんじゃこりゃ』な法案もある」。
 自分の中途半端な洞察力に愕然とする。「健康増進法案」の存在に気がついていながら、内容を精査していなかったのだ。この法案が、「禁煙ファシズム」とさえ言われる日本総禁煙化の根拠法になった。もし私が喫煙者だったら、「あの時この法案の『正体』をさらし、批判しておけば」と、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
 一見なんでもない名称の法律が、全く違う効力を持つことがある。そして例えば戦前の「治安維持法」のように、それが国民生活に決定的な変化を及ぼすことがある。立法者が国民の「民度」を計っているで不気味である。今現在通常国会が行われている中で、このような「一見なんでもない名称で、効力は全く異なる法案」があるか、確認しなければならないし、議員に確認を求めなければならない。
 例えば「人権擁護法案」は内閣提出法案なのに廃案になった珍しいものなのだが、内容が確認され、運用方法をめぐる問題点が議論された「一見なんでもない名称」の法案だったからと考えられる。


288.セクシャルハラスメント問題の意外な副作用について。
 セクシャルハラスメント(セクハラと略記)の問題は複雑である。男性が女性を性的に嫌がらせして、女性に心身のダメージを被らせる行為は許されない。しかし、セクハラを規制する動きが、セクハラ「冤罪」という形で、男性に対するダメージになる可能性がある。
 映画「それでもボクはやってない」は、セクハラの嫌疑にかけられた男性が「冤罪」と認められるまでの苦労の物語である。実際にセクハラの「被告無罪」判決も見かけるが、実際のセクハラは「示談」「和解」などで、原告に有利な結果に終わる状況が圧倒的である。「セクハラをしていない証拠」を出すのは難しいので、裁判を行っても被告の負けになる可能性が強い。そこで被告は裁判前に示談・和解で「負けて」、裁判により広がる「あの人はセクハラをした」という「社会的名声の損失」の長期化を回避することになる。
 実際に「常習犯」がいるという。男性の上司と故意に二人きりになり、セクハラ裁判を起こす人の話を某社会保険労務士から伺った。もし、複数の女性職員が結託して、「複数の証言」を証拠に「嫌な」男性上司をセクハラで失脚させようとしたら成功する可能性が高い。
 たった一人の20代の女性がセクハラで、資金・時間・人々の信頼で成り立つ直接選挙で決定される世界的に強力な権限を持つアメリカ大統領を失脚の一歩手前まで追い詰めた事件が記憶に新しい。


289.第一印象で本当に性格と能力がわかるのかについて。
 前回のメルマガの「お知らせ」で触れたが、私は現在、職業訓練を受けている。高卒19歳から30代前半までの24名、大半が女性である。事務職の正社員を目指し、パソコン・経理・ビジネスマナーなどを学ぶ。1ヶ月の職場実習を含む4ヶ月のコースである。
 5月に職業訓練が始まって以来、この24名は形を変えて何度も自己紹介を行った。グループワークも行った。パソコンの入力試験や講師の指名に対する回答具合で、ある程度の「能力」もわかってきた。従って私は、1ヶ月以上たってようやく、24人のうちの半分くらいの受講生の性格と能力がつかめた、という感触を持った。
 よく「面接は第一印象で、ドアを開けた瞬間に70%決まる」というが、第一印象と性格が逆な人がいる。のんびりしていてかわいらしい人が狡猾で、反社会的で「ケバ」い人が素直で協調的だったりする。しかも「第一印象どおり」の人もいるからややこしい。
 だから、人は第一印象だけで、その「逆」なのか「どおり」なのか、ドアを開けた時点で判断できるのか、非常に疑問である。人間観察が趣味である程度の私ではまず不可能である。経験を積んだ人事担当者ならあるいは可能だろう。しかし、就職不景気の時期に採用した新人を3ヶ月で辞めさせている会社の人事担当者は、自分の「第一印象」で判断できるという自信に溺れたのではないか。


290.私の母の合算対象期間による年金受給資格について。
 私の母は昭和23年生まれで、今年で60歳になる。年金受給資格を得るわけだが、この世代の女性の年金受給資格は難しい。
 現在の国民皆年金制度ができたのは昭和36年で、年金受給資格が「年金加入25年以上」と決められたのもこの年である。私の母が20歳になるのは昭和43年、その年に年金に加入して順調に行けば、平成5年に年金受給資格を満たす。しかし、私の母は私を産むために教師を辞めた。今で言う「第2号被保険者」ではなくなったわけだが、第3号被保険者制度ができたのは昭和61年のことであり、それまで母は国民年金に任意加入しておらず、「無年金期間」だったことになる。私は昭和48年に生まれたので、単純計算で母は13年「無年金期間」があり、母が年金受給資格を満たすのは本来なら平成18年、他に空白期間があれば危ないところであった。
 最もこの心配はなくなるような特例制度がある。国民会年金制度ができた昭和36年から第3号被保険者制度ができる昭和61年までの専業主婦の期間は「合算対象期間(カラ期間)」として年金加入期間に加算される。13年の合算対象期間分の年金額が低くなるが、私の母は無事年金がもらえるようだ。私の母を救ったこの特例制度は、多数決の政治で救われなかった人々を救う頭脳集団である「霞ヶ関官僚」が、本来の仕事を行っていたという証拠である。


291.洞爺湖サミットの二氏の含蓄ある批評について。
 自分には洞爺湖サミットを批評する資格はないと思っている。しかし、NHK時論口論の7月7日の嶋津八生(はちなり)解説委員の解説と、「國會新聞」編集次長の宇田川敬介氏の7月15日のブログ、両氏の論説を「紹介」することで私の務めとしようと思う。
 嶋津氏の評論で私が紹介するのは、「地球温暖化問題は中長期的な問題、喫緊の世界経済問題・エネルギー問題をサミットで取り上げなければ、マーケットは沈静化しない」というところ。宇田川氏の評論で私が紹介するのは「サミットという主権国家同士の『頂上会議』で多岐にわたる重要問題を捌いた、『シェルパ』といわれる外務省官僚と議長国日本の政府の評価は高い」というところ。
 洞爺湖サミットを「京都議定書以来の環境サミット」とし、「アメリカに遠慮するばかりで、このサミットは何ももたらさなかった」とする評論が多い中、両氏は重要な独自の視点を提供している。
 正直サミットはあまりにも内容が高度なので、ただの評論家ではつい重箱の隅を突くような批判か、その批判を叩く論争をしたくなるところを、字数をかけて内容のある評論を書くところが見事だ。
 ただ、両氏とも、政府を代弁しているのではないか、という「不安」がある。内容の深い「大本営発表」といってもいい。事実を伝えない反権力に抗するという、新たなジャーナリズムであろうか。


292.久しぶりに再び、金正日総書記と昭和天皇について。
 加藤紘一代議士が「拉致被害者を北朝鮮に返すべき」と言って散々酷評されている。加藤氏の発言の中で「金正日総書記はまるで天皇陛下みたいなかただ」というのがあって、これも「何事か」ということになっているが、私は2003年1月13日のメールマガジンで「金正日氏と昭和天皇との共通点」について論じている。
 加藤氏の真意はわからないが、加藤氏が「天皇陛下」と述べているのに対し、私は「昭和天皇」と述べているのにご留意いただきたい。私の真意は、昭和天皇が日本近現代史で果たした役割を、金総書記が行うのではないか、ということである。その前提には、「あたらしい教科書」的ではない、本物の日本近現代史を学んだ者が感じる、現人神でも象徴でもない政治家としての昭和天皇の姿がある。
 さすがに加藤氏のように、拉致被害者を北朝鮮に返すように、とは思わないが、北朝鮮は日本にとって「使い勝手のいい」国になりつつあると思う。ただ、戦前のアメリカが日本を本当の「使い勝手のいい」国にするために、5年間も直接戦争をしなければならなかった、この二の舞はいけない。日本の威勢のいい保守論客は、韓国・北朝鮮・中国・ロシア・オーストラリアまでまとめて相手にすると息巻いているようだが、それは戦前の日本と変わりはない。加藤氏の発言はともかく、北朝鮮戦略は考え直してはいかがだろうか。


293.1冊の本から戦前の生活を考えることについて。
 皆様に、1冊の本を紹介する。『君たちはどう生きるか』吉野源三郎著、岩波文庫。中学2年生の「コペル君」がいろいろな体験をし、その体験を聴いた「叔父さん」が、「君たちはどう生きるか」をコペル君に諭す、という内容である。特筆すべき点はその刊行年で、1937年、戦前であり、日中戦争が始まろうとする年である。
 あるいは皆様の中には、「戦前の暮らし」がどういうものだか、見当がつかないかたもいるのではないか。「火垂るの墓」で、戦前の軍人の家の生活が「案外戦後的」だと思ったかたも多いのではないか。『君たちはどう生きるか』でも、戦前の子供の生活が記されている。今と似たところもあり、決定的に違うところもある。
 例えば、「野球」といえば今はプロ野球、あるいはメジャーリーグであろうが、戦前、「野球」といえば大学野球、とりわけ「早慶戦」であった。そういえば今年、「最後の早慶戦」という映画が上映されている。しかしながら『君たちはどう生きるか』の前半は、さながら『三丁目の夕日』とそれほど変わらないように見える。
 しかし、「愛校心のないものは非国民、制裁を加える」となり、今まで「戦後風」だったコペル君と友達に、一気に「戦前」が襲い掛かってくる。上級生という「戦前」に敢然と立ち向かうコペル君たち。1937年である。よくこの内容の文章が世に出たものだ。


294.新聞に掲載される麻生太郎幹事長の表情について。
 もし皆様にお時間があれば、各新聞の9月2日夕刊と3日朝刊に出ているはずの、麻生太郎幹事長の「表情」を確認してほしい。我が家が購読している読売新聞2日夕刊と3日神奈川新聞は、同じ「2日午前9時半の自民党役員会での福田首相と麻生幹事長」だが、神奈川新聞は「神妙な面持ち」、読売新聞では「笑顔」である。
 時間を見ると神奈川新聞の写真の5分後に読売新聞の写真が撮られている。読売新聞では福田首相も微笑んでいる。それ以上に読売新聞は、9月3日の朝刊、夕刊と麻生幹事長の「笑顔」を載せ続けている。はたして、突然辞任した首相与党の幹事長が、自分が後継首相になるのかもしれないが、笑顔をふりまくのはいかがなものか。
 二代続く中途半端な政権投げ出し、と評論されている政権の後継は相当難しいと思われるが、麻生幹事長は「(私が自民党総裁の後継として)適任かな」と発言し、早々と総裁選の立候補を表明している。いかにも時期尚早で、しかも「とにかく総理総裁になりたい」という欲望が見えてしまう。「笑顔」を載せているのは読売新聞だけかもしれない。しかし、麻生幹事長は自民党のプリンスである。
 プリンスといえば、大物戦前政治家の婿、東大大蔵首席、受けた大臣数知れず、「最後の本命」といわれて首相になった、宮沢喜一氏である。麻生幹事長は、撮られる表情には注意したほうがいい。


295.風邪のため書き損なった小ネタを書くことについて。
 組閣について、1992年12月の宮沢改造内閣(内閣不信任案賛成時の内閣)から、今度の麻生内閣まで、ある「法則」があるのを皆様ご存知だろうか。実は、神奈川県出身の閣僚が途絶えず、必ず内閣には1人以上の神奈川県出身の大臣がいる。今回は、鈴木恒夫文部科学大臣(神奈川7区)から、甘利明国土交通大臣(同13区)に受け継がれた。恐らく次の内閣でも、河野太郎氏(同15区)や上田勇氏(公明党、同6区)、政権交代しても、岩國哲人氏(同8区)、池田元久氏(同6区)、浅尾慶一郎氏(同参議院選挙区)と、おそらく神奈川県出身の議員は閣僚に選ばれ続けるだろう。
 組閣と神奈川県の話はこれで終わり。さて、自民党総裁選は「茶番」、民主党代表選は「非民主的」と大いに批判されたが、同じ時期に公明党の代表選が行われ、太田昭宏氏が無投票で再選されたことを論じた人はどれだけいたのだろうか。「政府・民主党・朝日新聞・東亜」を攻撃していればいっぱしの評論家になれるきょうび、公明党や読売新聞あたりも論評できるジャーナリズムが欲しい。
 さて、アメリカの企業に公的資金が入ることになった。マクロ経済では政府の存在は大前提ではある。まあ公的資金を受ける銀行、および傘下の企業は、文句を言わず法人税を納めていただきたい。


296.お詫びついでに麻生内閣組閣を批判することについて。
 「確認」は、何をするにしても大切なことだ。昨日私は、その確認を怠った。NHKの甘利明氏の「国土交通大臣内定」を観た後外出し、その後「確認」することなくメールマガジンを書いた。ご存知の通り、甘利明氏は「行政改革担当大臣」になった。謹んで皆様にお詫びしなければならない。申し訳ございませんでした。
 伊東昌哉氏は著書『池田勇人 その生と死』で、池田総理の秘書官として第2次改造内閣「実力者内閣」を組閣したときのことをこう書いている。「一筋縄ではいかないそういう人びと(実力者)を、ひとつのワクのなかに収めるということは容易ではない。誰をさきに交渉するか、どういう話し方をするか、そのまえにどんな手をうっておくか。できてしまった建築物からでは、建築中に大工や左官をささえていた足場のかたちはわからない。その足場なしでは建物はたたない。私たちは、足場の構造を書きあげるのに没頭した」。
 「派閥均衡」と言われる「面白くない」組閣は、裏役の苦労があって初めて成立した。今回の麻生内閣の組閣は、麻生総理自らが、自分の盟友を集めて、直前に実力者の横槍を食らって混乱して変更してできたものではなかったか。大臣の名前をポストが「ずれて」いるような感じがする。役所も部下もないポストに、女性2人をつけている。古賀派に何の恨みがあるのか、1人しか入っていない。


297.新聞のコラムに記者の観点を見たことについて。
 新聞社には「社是」みたいのがあるのだろうか。私が読んでいる読売新聞(夕刊)は「憲法改正」、神奈川新聞には「米軍駐留反対」みたいな「社是」があるのかもしれない。普通の記事や論説でも、「社是」に引っ張られて、読売新聞は右に、神奈川新聞は左に流れてしまう。私自身は新聞は記者が苦労して取材してきた記事をもれなく掲載すればそれでいいと思う。記事が多ければ紙面を増やせばいい。デスクやら上層部やらが「社是」や「紙面の都合」で記事を検閲するのはよくない。だから、マス「ゴミ」と言われてしまう。
 社説や一面下の無署名コラムも、はじめに結論ありきで読み甲斐がない。では、記者の署名が入ったコラムはどうか。神奈川新聞の「デスクノート」は「頑張ります」的なものが多く、「頑張ってください」である。ところが、読売新聞の「記者ときどき私」は、記者の「主観的な観点」から書かれている。たまに「社是」から外れることもある。そういう時は物事を複数面から見ることになり、非常に「客観的」で、さらに活き活きとした読みやすい文章になる。
 この「記者ときどき私」は最近できたものだと思われる。読売新聞に何かあったか。朝刊に載る編集委員や何とか局長等のコラムは「社是」通りである。「記者ときどき私」には、記者が苦労して取材して得た「本当に書きたいこと」の一端が見えるような気がする。


298.日本の軍人が本来の任務をやっているかについて。
 軍は、これから起きる戦争に勝つために、あるいは負けないために存在する。軍にとって、過去の戦争は「いかにして勝つか、負けないか」を考える上で参考にすべき事項であり、過去の戦争が「正しかったか、間違っていたか」は軍にとって関係ない。その関係ない事項を、日本の自衛隊の上層部が異様にこだわっていたことは、自衛隊が果たしてこれからの戦争に対処できるのか、不安にさせる。
 自衛隊内部の軍教育が、本来の「未来の戦争にいかにして勝つか、負けないか」をやらずに、「過去の戦争が正しいか、間違っているか」という「軍にとってどうでもいいこと」に割かれているのではないだろうか、非常に心配である。日本近現代史を専攻してきた私は、日本陸軍の軍教育が日本軍事のみならず日本政治を大きく変えたことを学んでいるからだ。シビリアン・コントロールが、退職金をもらう軍人に代わって文民大臣・次官が給料を国庫に返納することに矮小化されていないか。日本は、「戦前」に戻っていないか。
 1920年代、大正デモクラシー時代の軍人は肩身の狭い思いをしたそうだ。まるで日教組に子供がいじめられるように。だからといって、その後軍人が政治を牛耳って威張り出し、戦争に負けたのは以前肩身の狭い思いをしたからだ、という弁解は認められない。

299.しかたがない、この事件を論じるかについて。
 自衛隊の前航空幕僚長の論文について何回も論じるのは「負け」だと思った。トヨタの会長が「厚生労働省を悪く言うマスコミからスポンサーを撤退しようか」と言った時は、意外に世間の反応が薄かった。しかし、元厚生労働次官等を狙った暗殺事件が起きた。
 「しかし」か、いや「そして」か。テロやクーデターや暴動を予想したり、計算することはできない。そんなことが起きる「背景」や「予兆」や「土壌」や「雰囲気」的なものに満ち満ちていても、最後の引き金が引かれることはやはり難しい。前航空幕僚長やトヨタの社長の言論が、最後の引き金になった可能性もあるけれども。
 今回の事件が地下鉄サリン事件や9・11事件を始めとする過激派による自爆テロと決定的に異なるのは、犯行動機を示唆するものがないので詳細不明だが、「差別テロ」かもしれないということだ。詳細不明なので現時点で世間では単なる「テロ」扱いにしている。
 「元」「厚生労働」「次官」を1度に2人、秘密裏にされている住所を調べて凶行に及んで未だ捕まっていない。錬度の高い武装集団でさえ、無差別テロが精一杯で、世間を怖がらせるだけに終わっているのに、「差別テロ」となると、既に引き金が引かれている。
 1930年代の日本政治史を勉強した私が、正直「書かずもがな」と思いながら書いている。論じないと「負け」だと思っている。


300.言論・出版の自由の一般人への開放について。多分その1。
 このメールマガジン「世の中の片隅から」の購読者数は現在約200人である。特段の事情がない限り、減ることはあっても増えることはないだろう。国会議事堂に勤務していた当初は500人以上の購読者がいた。今の私は単なるフリーター、政治評論を行う根拠となる肩書を失ったので、購読者が離れてしまうのも仕方がない。
 ブログや大規模掲示板の普及で、憲法で言う「言論・出版の自由」が一般の人々に開放された。言論・出版の「量」が満足されると今度は「質」に注目される。あるいは将来は「言葉でお金を稼げる人が絶滅する」といわれてきた。今までは出版社側が「取捨選択」してきた言論・出版を、今度は一般人が「一般人を選ぶ」ことになる。
 選ばれて、お金を稼げる言論・出版が、変わってくるかもしれない。私が思うに、今は肩書や経歴のある人、ニュースソースを持っている人、単に「声の大きい人」の言論・出版が選ばれている。昔のことはわからない。ボツになったものを調べることができない。
 私のメールマガジンも、ブログにしたり、大規模掲示板で宣伝したりして、購読者を増やせばいいのかもしれないが、しない。「定期的に発行する」保障ができないからだ。声を大きくする自信がない。今の自分の文章も満足できないが、締め切りに追われて、適当にテーマを選んで質を落とすのは、何も私に限ったことではない。


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