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今夜の番組チェック


227.とある職業安定所のかなりの進化について。
 横浜関内の職業安定所は、かつては相当使いにくかった。求人票の入ったバインダーが充分に数がなくて、多くの人々はそのバインダーが空くのをかなり待ったものだ。求人を見つけた後の手続きも大変だった。バインダーをできるだけ早く次の人にまわす必要があったからだ。私にはこの煩わしさが職業安定所から当時は遠ざけた。
 しかし今、職業安定所(現ハローワーク)は、非常に便利になりつつある。横浜関内の職業安定所は、全IT化されているのだ。
 求人票は全てネットワークに入っている。求職者には、何と300台近く(横浜関内の場合)の端末ブースが準備されており、全ての求人票を閲覧し、ブース内でコピーすることができるのだ。
 つまり、国は、失業者のために、大幅な設備投資をしてくれたのだ。現在国は、経費削減のために自らの業務のための設備投資もままならない。私はこの一点については、一失業者として、国の犠牲的精神を尊敬し、国の弱者救済政策に最大の賛意を示したい。
 残念ながら、職業安定所のIT化のために失業率が下がったという話を聞かない。この時期に壮年世代の失業が非常に増え、この政策変化に相性が合わなかったのだろうか。しかし、この政策変化は確実に未来の失業率を下落させるだろう。是非、全国の職業安定所にも積極的なIT化を進めてくれる政治行政力が欲しい。


228.この間の作者読者の状況について。
 3月2日にメールマガジンを出してから、6ヶ月間メールマガジンを出していない。その間の作者読者はこのメールマガジンを出す資格がなかった。今その資格があるかどうかわからないが、システムの都合上、6ヶ月以上メールマガジンを出さないと強制廃刊になってしまうので、作者読者の現状について報告することにしたい。
 本当に長らく無職状態が続いた。おかげで鬱状態が深化したこともあった。その頃通った総合病院は私には合わなかった。かなり心身ともに苦しかった。それでも何とかハローワークには通った。
 ハローワークが積極的に職業相談に乗ってくれたおかげで、6月から運勢というか、状況というかが上向いてきた。そして私は6月下旬から某役所の臨時職員の職を得ることができた。あるいは長期間にわたって勤められる職で、今までのアルバイトと違って長期的な人生設計の中心として、この職に向かっていくことになる。
 仕事に慣れて余裕ができるまで、仕事以外は睡眠、の日々が未だ続いている。各方面への借金を返すまで、私にあまり自由はない。
 「貧すれば鈍す」を地で行くがごとく、この間の政治については、現在までほぼノータッチである。参議院選挙も私の眼前を通り過ぎていった。仕事中心・生活中心の人々にとって、こうやって政治は通り過ぎていくのだな、と思った。また別の視点から政治を観た。


229.窓口の向こうに3ヶ月。とりあえずの感想について。
 現在私は、役所の窓口の向こうにいる。そういえばさっきまで、ハローワークや病院の窓口のこっちにいた。「作者読者」が「窓口の向こう側こっち側」になった。自分にぴったりのポジションである。これで、役所について異なる視点で述べることができる。
 人々が何かと公務員を目の敵にするその第一の理由は、窓口にいる公務員の不親切さや融通の利かなさにあると思う。窓口の向こうに3ヶ月、私は窓口公務員に不満を覚えると共に、相当量「窓口公務員」を演じた。まだ新米だから、過度にお客様サービスをしすぎて職員に注意され、徐々にお役所ペースに順応している状況だ。
 政治家と人々、役人と人々との関係を云々するとき、「相互に理解しあう努力が足りない」と評するのは普通だが、実際は「人々のほうが、政治家や役人よりも、少しく努力が足りない」と私は思う。いうなれば人々がもう少し、政治家と役人の行動パターンと意味を利用し、周りに失礼な印象を持たせないようにして、さらには「運命」の要素を考慮すれば、自然と政治家や役所は人々のために動く。
 同じ窓口申請が2分で終わるのも1日かかるのも、究極的にはこっちのせいでもなく向こうのせいでもなく、「運命」である。それがわかれば、1日かかった時の危機管理を用意する余裕が生まれる。


230.書いたかと思ったら自分の文章の話かよ、について。
 「作者読者の文章から、作者読者の言いたいことが伝わらない」というご意見を、1年程前に政治的先輩から、つい最近名無しの読者のかたから頂いた。少し私の文章の立場について書こうと思う。
 他の政治メルマガ、特に政治家の先生がたのメルマガは、筆者の主張・政策提言などの「自分の言いたいこと」で満ちている。しかし、失礼を承知で言わせていただければ、政治メルマガの筆者は与党と野党に属し、自党は正しく、他党は間違っていることを繰り返し「言いたいこと」にしている傾向にある。私はそうではない。
 「作者読者」だから、作者の立場のみで自分の言いたいことのみを書いて自己満足し、読者は皆自分に賛成してくれるとは思わない。これは自慢ではなく、立場であると共に止むを得ない事情もある。
 官僚ほどに法律を駆使した政策立案ができず、政治家ほどにバイタリティーを持たず、秘書やジャーナリストほどに現場で苦労をしていない。私のとりえは、前出の誰よりも、他人の偉大さを知り、そこから自分の限界と希望を見出す力に秀でているところにある。
 役所に疑問を持ちつつ進んで役所に勤め、与野党の選挙事務所に入り、「自分は正しいから言いたいことを言う」立場に立たない。私の文章を読む皆様も、「読者」ではなく「読者作者」くらいの立場になって、私と立場を共有していただけるといいなと思っている。


231.6ヶ月ごとに近況報告をやることについて。
 政治評論の場としては長く活動休止しているこのメルマガだが、強制廃刊をまぬがれ、後々政治評論を再開できるように、作者読者の近況を書いてみる。官庁の臨時職員になってから1年がたった。
 『頭がいい人、悪い人の話し方』という本がすごく売れている。でも、この本を読んで他人を観察している人自身が、他人に観察されて「頭がいい、悪い」と判断されていることを忘れてはならない。
 窓口の向こう側にいて、来訪者や同僚のミスをカバーしているつもりの私も、自分発の多くのミスが他の人にカバーされて事なきを得ていると考えなければならない。露骨に自分を嫌う人は人望ある人ではないから、その人も他の人には嫌われているのだろう。
 今の私は、万事慎重にならなければならない流れのようである。本来なら20代で識見を得て慎重になり「大人」になるというのに。
 政治評論家として、客観的でズバリ確信をついた一言を出したい。スポンサーから何らかの要請があるのなら仕方ないけれども。で、今の政治家やマスコミ評論家の言論が全てスポンサーからの要請に沿ったものだとしたら、私の一言がベストだということにしたい。
 日々色々思うが、色々大変で臥薪嘗胆の日々である。昨日得た教訓を今日忘れ、恥をかかなければ覚えられない自分が恥ずかしい。


232.永岡議員、国会議員、人々の死について。
 永岡洋治衆議院議員が亡くなった。まだ充分生きることができたはずなのに。残された議員の関係者のかたがたはさぞかし残念無念、悲しみつらさで一杯だろう。微力ながらご冥福をお祈りいたします。
 永岡議員は「ながおか洋治ニュース」というメールマガジンを発行していた。週刊で、最新刊は7月20日。この日のメルマガで、以後週刊から隔週刊に変える、と伝えていた。次の発刊は8月2日。しかし、この日のメルマガには議員の訃報が載るのだろうか。
 国会議員は、憲法により身分が保証されている。それだけ大事な身体なのである。国民から選ばれた身分を、一人一組織の恣意で奪うことはできない。だから、国会議員の死は、国の根幹に関わる事件である。恐らく人々はそこまで思わないであろう。石井紘基議員が殺されてなお、直後の衆院補選の投票率が最低レベルだった。
 人の命の政治的重さはまちまちだ、と思わされる。教職員組合の突き上げに苦しみ自殺した広島県の校長先生の衝撃は政治的に増大され、国旗国家法案を迅速成立せしめた。人一人の命はそこまでできるのである。今回の永岡議員の死は、政治的に重要視すべきではないか。永岡議員や石井議員を再び生み出さないような措置を、迅速に作るべきではないか。冷静な提案とは言えないが、そう思う。


233.作者読者、公務員の定数削減に物申すことについて。
 衆議院選挙の各政党の公約中、自民・公明・民主各党が「公務員の定員削減」を揚げている。ある調査によると、有権者の87%が公務員の定員削減に賛成だという。現在役所の窓口で働いている私は、公務員の定数削減は正しい手段で、慎重に行ってほしいと思う。
 まず、現場で働いている公務員は極力削減すべきではない。役所の窓口は1人いなくなるだけで行政サービス効率が非常に悪くなる。
 公務員と見れば全て排斥するのは止めてほしい。一生懸命働いている公務員と、楽して高給を貰っている公務員を見分ける確かな目を、政治家や国民は持っているかが試されている。当然後者を削減するのをためらってはならない。これは既に退職した公務員に対しても同様で、楽して高給を貰ったまま退職した公務員には何らかのペナルティーが必要かもしれない。公務員は皆無駄なのではない。
 逆に、新規採用を削減したり停止したりするのは好ましくない。むしろ公務員試験受験の年齢制限を撤廃して、誰でも公務員になれる制度が必要だ。今までは「公務員と、それ以外の人々」という断絶があり、それが双方の不理解と確執を生んできた。誰でも公務員になれれば、公務員も国民も公務に対する理解と責任を持つだろう。
 公務を民営化するのは、今の私には見識が少なくなんとも言えない。一生懸命な公務員は民間に勝る、とは一応思っている。


234.評論よりも結果が先の今回の総選挙について。
 総選挙が終わって、もうすぐ特別国会召集。本格的な景気回復の兆し。選挙評論が一回りして、私は何を書けばいいのだろうか。
 私の個人的な願いであった「投票率アップ」が実現した。今回の総選挙は「劇的」であった、というのがその理由だろうか。
 衆議院で可決された法案が参議院で否決されるという意外。伝家の宝刀を鮮やかに抜き放った首相のカッコよさ。「造反」対「くの一」、注目対決を彩るテレビ・雑誌。選挙戦が始まると「郵政民営化」を合唱し大勢で駅頭を占拠する自民党の運動員たち。大阪夏の陣の真田幸村の如く、首都圏に何度も突入する民主党岡田代表。
 これらが相まって高投票率を記録した今回の総選挙。自民党の大勝利は、解散直後の世論調査からあるいは充分予測できたのかもしれない。あの兵(つわもの)どもが跳梁跋扈した選挙戦は、無意味なものだったのかもしれない。民主党のマニフェストもよく捌けたという。民主党の運動員もベストを尽くしたと思われるが・・・。
 投票率で今回アップした分の人々は、ほぼ全てが自民党及びその候補に入れたとされる。その数は平均2万票(神奈川の場合)(訂正:選挙区ごとにおよそ4万〜6万)。キャスティング・ヴォートに握った形となった。普段の地道な活動で固定票を養っていた民主党議員のみが、比例で救われた。この2万票が、次はどこに流れるか、はたまた無関心の巣に戻るのか。


235.2005年総選挙、神奈川5区定点観測について。
 私の住む神奈川5区は、民主党の田中慶秋氏が小選挙区制になってから3連勝していて、目標は「得票15万票」だったのだが、今回の総選挙では、田中氏に2度目の挑戦を図った自民党の坂井学氏が、その15万票を越える票を獲得して田中氏に勝利した。
 私の最寄り駅の東戸塚駅は、神奈川5区の大票田戸塚区を通るJR横須賀線の2駅のうちのひとつである。もうひとつの戸塚駅の周辺は昔からの町並みで、東戸塚駅周辺は新興住宅が立ち並ぶ。
 東戸塚駅東口はその新興住宅や戸塚区北部に住む人々の玄関口である。東口の改札前には屋根つきの空間があり、その先にはショッピングモールに続く橋があり、駅頭活動に最適である。さらに、バス・タクシー・車停留所周辺に建物はなく、街宣車を止めて大音量で演説すると非常に効果的である。しかも、その東戸塚駅東口入り口に、期日前投票所がある。昔は旭町通り商店街、今では東戸塚駅東口が、神奈川5区の天王山であり、ジブダルタル海峡である。
 選挙期間中、東戸塚駅東口を占拠していたのは多くは坂井陣営であった。連日連夜、若い運動員が「郵政民営化賛成です!」と連呼してビラを配っていた。本人が不在であることが多いのはもとより、「さかい学」という幟旗も目立たなかった。公示日に小泉首相が東戸塚駅東口前で演説することは、その数日前から宣伝していた。


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