
20.街の世論をインターネット世論に活かすことについて。
歌人・劇作家寺山修司氏には「書を捨てよ街に出よう」という著作がある。書を捨てろという書を出すのは矛盾しているが、実際社会にはこのくらいの矛盾は当然なのかも知れない。私は政治に興味を持つ方々のために「パソコンの電源を切れ街へ出よう」と考えた。
加藤政局でインターネット世論が永田町世論に負けてしまい、インターネット世論を味方にしてきた政治家がインターネット世論に攻撃されて勢力を失ってしまった。やはり選挙の時以外は永田町の論理は政治に置いて全てに勝ることが明らかになってしまった。永田町の論理は永田町の多数派を応援する街の世論の論理である。インターネット世論が街の世論に負けている。今度の選挙で逆転できるかどうか。
政治は街の世論から生まれる。政治を娯楽の一種として楽しむのではなく、政治を生活の一部としている街の人々の世論を政治はまず解決する。インターネット世論は、街の世論を敵にするのではなく、街の世論の急所を換骨奪胎(パクり)する必要があるのではないか。そのために、ある程度はパソコンの電源を切って街へ出て、街の世論を集めた後にその対策などを考えるためにパソコンの電源を入れるという形がこれからの政治に興味ある人々の(特に我々が愚民でない証として)やるべきことではあるまいか。
政治家がパソコン政治を忌避する兆候がある。政治家のホームページが閉じられ、メールアドレスを公開しない政治家もいる。これは政治家がインターネット世論を愚民論として馬鹿にしているからで、馬鹿にしている者が刃向かうと安易に規制したりするのが政治家である。ここは我々が頭を良くして政治家を懐柔するような深謀と余裕が欲しいところである。そのために、街の世論を研究してみる必要があると私は思う。
21.政治家のEメールアドレス公開にもの申してみる、について。
政治家のメールマガジンやホームページを観ると大体「ご意見を下さい!」とかあってEメールアドレスが公開されている。恥ずかしながら、何か返事を書いてもらえると思って勤勉にEメールを出していたのが私である。しかも返事が来ないのを批判するメールを送ったらお叱りのメールが来てがっくり来ている次第。我ながら情けない。
「国民主権」とか「国民の政治参加」とかが理想で、それが技術的に無理だから間接民主制が採用されているこの時代。確かにEメールで寄せられる意見を政治家がいちいち対応できるのなら政治家はいらないということになる(だからどんな革新的な政治家も自己保身のために住民投票などの直接民主制的な制度を嫌がる)。ならば「返事は書きません」とか親切に注意書きしてくれればいいのに。ところが選挙区の人とか提灯持ちの人には返事を書いているのかしら、でも大量のメールから「返事を書けるメール」を探すのは、ただでさえ人数が少なくて多忙な議員スタッフでは無理だろうな、等々思う。
で、最近は主要政党やシンクタンクが「政策を送って下さい」というキャンペーンをやっている。「半直接民主政治」というものらしいが、政策を作ることのできる能力のある人だけを相手にする「哲人政治」を連想させる。まあ、どんな人でも社会経験があるからそこから政策をつくれるかも知れないから私も政策を制作中であるが(無料提供かあ、無体財産権はどうなるのか)、実際採用されるのは著名な人や経歴の優れた人が作ったわずかなものだけ、あとは個人情報だけ集めて、やたら多く来るしどうせ誹謗中傷や批判要望ばかりと決めつけられて観てももらえないという末路が見えるだけにどうもやる気が出ない。
政治のIT化はここに来て遠くなってしまったなあ、と今頃気づく今日この頃である。
22.民主党の政策公募について。
民主党が「メールで始まる政治参加!」と称して、我々から提言や政策をネットで募集し、それをネクストキャビネットで選考した上で、実際に立法化し国会に提出するという試みである。これは民主党にとっては相当冒険的なことだと私は思う。
民主党には国会議員をはじめ地方議員並びに議員秘書、本部スタッフや地方組織スタッフら、相当の政策に携わる人員を揃えているのにも関わらず、外部から政策を求めるのは、民主党の政策担当能力の欠如を自分で証明しているようなものである。普通はあっさりつぶされるこのような試みが我々の目にさらされるということは、共同通信配信の記事が書いているように「次期衆院選に向けて『いつでも、だれでも利用できるインターネットの特性を生かした市民参加型の政治』をアピールすることで、支持層の拡大につなげようとの狙い」をメインとした試みであろうと私は想像する。
実際は民主党は送られてくる提言や政策よりも、送ってくる人々の氏名住所が欲しいのではないかとも想像できる(もっとも、募集資格で国籍年齢を問わないし、氏名性別居住都道府県名メールアドレスしか求めないところ、もしかして本当に、という期待もある)。
これによって民主党には良質な政策が大量に集まることが予想される(広報努力次第だが)。世の中には政策を売れる実力のあるシンクタンク、政策を専門に研究している大学院がたくさんあり、教育・医療・福祉など身近な問題に対する知恵を持つ人々やグループがものすごく存在する。最も彼らが無料で特定の政党に提言や政策を出すかは不明である。
本当は我々全員(有識者だけではなく)が自分の社会経験を活かした提言・政策を作れるはずである。もっとも我々は多忙で、政策を作る暇はもとより、政治に参加する時間的精神的余裕ををなかなか持てないでいるのだが。
23.料理番組を政治考察のために観る?、について。
今日は日本テレビ系列番組の宣伝である。木曜21時からの1時間番組「どっちの料理ショー」である。ちゃんと政治に関わる話にするつもりである。
7人が2種類の料理のどちらを食べたいかを選ぶ、多く選ばれた料理を選んだ人がその料理を食べられるが、もう一方の料理を選んだ人は何も食べられない。2種類の料理は微妙に似ていて微妙に違う(焼きそばとスバゲティのように)。料理にはそれぞれ宣伝人がつき、多く選んでもらったら彼も料理を食べられる。7人は中間ジャッジで一度どちらかの料理を選ぶが、最終ジャッジで変えることができる。
つまり、「2大政党・小選挙区制での選挙」のモデルケースである。投票者は選挙で自分の運命が決まり、その運命に天国と地獄の差がつくので一生懸命選挙につき合う。政党は微妙に似ていて微妙に違い、政党人は自らに有利な情報をルールの範囲内であの手この手を使って投票者に流す。中間ジャッジは選挙の中盤情勢報道を彷彿とさせる。
この番組を見て、結果が出る前に何対何でどっちの料理が選ばれるか当てられれば大したものである。選挙の予想の腕も相当なものであろう。7人の判断は本当に多岐に渡る。他人の動向を見て食べたい料理よりも食べられそうな料理を選んだり、料理のニオイにつられて衝動で選んでしまったりと、全く予想しがたい。しかも、中間ジャッジがなかなかそのまま最終結果にならない。変更・裏切りが続出、全く思いがけない結果になる。
とにかく観ていただきたい。それで、自分が7人のうちの1人だったらどう選択するか、自分が宣伝人ならどういう戦略を採るか、料理が3種類だったらとか、ルールが違ったらどうなるかと考えて観つつ、最後にどっちが勝つか当ててみると面白く観られる。
24.小沢塾の最終面接実施報道を読んで思うことについて。
私の読んでいる新聞の12月18日付けに、「小沢塾」が最終選考に残った103人の最終面接を行ったという記事が出た。党の内部のことを公にしているあたり、自由党は情報公開という点ではポジティブな考えを持っているようだ。
約380人が論文審査に応募し、通過したのは弁護士や医師・公務員・大学生ら103人でその内女性は11人。入塾できるのは約30人。確か2年間で修了するプログラムのはずだが、状況によっては塾生を来年の参院選での出馬させる可能性もあるという。
私は小沢塾に行く意思があって申込書を取り寄せたのだが、受講料が高すぎる、仕事をしている人にとって日程を空けるにはきつすぎる、推薦書を2枚送ることになっているのだが、2人も私を推薦している人がいない、小沢党首を文句なく共鳴するわけでもない、という理由から、応募はしなかった。
だから、今回応募した人が380人もいることに結構びっくりした。多分親とか学校の先生とかの推薦をもらって応募した人、小沢党首を充分礼賛しなかった人が選考から漏れたと思われる。合格した人たちは高学歴・高収入で自分の時間が持てる人で自由党とのコネがある人なのだろう。彼らエリートが、小沢塾で政治家として非エリートを善導させる能力を磨くことを祈りたい。非エリートを搾取する能力を磨くのではなくて。
自由党には自由総研とかエル・カデットとか、人材育成機関が充実しているところである。なかには、東京外語大学アラビア語学科卒業、国際大学大学院国際関係学研究修士課程修了、さらに中東和平や長野オリンピックの際に実務者として活躍した人がいる。この経歴の人がなぜか来年の都議選に出馬する。自由党はある意味よくわからん党である。
25.亀井静香政調会長の不思議について。
北陸新幹線の建設方法を経費のかからない形式ではなくて経費のかかる方式で行うことを決めた理由を、亀井静香自民党政調会長は「柳川なべとか蒲焼きでは値段が違うのは当たり前。蒲焼きの方が栄養があるし、うまい」と例えた。とりあえず意味不明で理屈に合わない上に、福岡県柳川市は古賀誠自民党幹事長の地盤である。柳川鍋と柳川市はとは関係ないらしいのだが、亀井氏はまた敵を作ったかと当初はびっくりした。
亀井政調会長は、不思議な人である。橋本派からは公共事業がらみで敵視されている。官僚からは「レベルの低い田中角栄」扱いである(「文芸春秋」の官僚が選ぶ嫌いな政治家アンケート第4位)。検察はいよいよ彼を自分たちの管轄下に置こうと画策しはじめた。自民党反主流派や野党や国民に嫌われる以前に随分色々なところから嫌われている。しかし、彼があちこちで軽口を叩くその姿はなんと自信に満ちあふれていることか。新聞雑誌での彼の似顔絵はいつも自信にあふれた笑顔である。信念の強さは評価するよりない。
この人の政策を批判するのは非常に楽だが、しかし「論理的にわかりやすく批判する」というのは結構難しい。批判する側が「亀井憎し」が先行して感情的になってしまうか、難しい理論を使う羽目になりわかりにくくなってしまうかなのである。どっちにしろ、批判者が亀井氏以上のレベルに立てないのが痛い。彼の長所かも知れない。
石原慎太郎東京都知事がもてはやされているが、亀井氏はどうなのであろうか。ともに清和会を出たことがある。石原氏が東京都で辣腕を振るっているとき、亀井氏は日本を相手にしている。石原氏は思想に偏りがあるが、亀井氏には思想がない。報道や国民が素直に、石原氏をヒーローに、亀井氏を悪人に擬しているのは結構不思議である。
26.国家予算の大蔵原案に関する報道について。
12月21日木曜日付きの各朝刊には、2001年度一般予算の大蔵原案(大蔵省最後の原案)が発表されたという記事があった。全国紙では「財政はますます肥大、借金返済への課題はまたまた先送り」とかいう総論的な記事が載った。
それに対して、私の読んでいる神奈川新聞には「第3空港(川崎か横浜か横須賀に建設予定)調査費満額の12億円計上」「米横須賀基地12号バース調査費は満額」「県内2事業(川崎縦貫高速鉄道、高速横浜環状北線)後日採択へ」と、地元の具体的な予算の使い道が書かれている。全国の地方紙も同様だろう。思い通りに予算がきて大満足の所、要求通りの予算が来なくて不満たらたらな所、悲喜こもごもだろう。
全国紙・地方紙を両方読むと、財政が肥大して借金がかさむのもまずいが、自分の所に予算が廻ってこないのも困るという、非常にある種矛盾した気持ちに駆られる。特に自分の生活に関わってくる所に予算が廻ってこないとなおさらである。政治に生活がかからないと「それは地域エゴだ」と簡単に言えるところだが、そうもいかない。また、特に地方紙に「予算が来てよかった」という讃美的記事が書かれているわけではないが、客観的な記事を前にして、ある種の地域エゴが出てしまう自分の中の政治の複雑さ。
もっとも、自分の地域の誰かが申請したこの事業は本当に自分の地域の役に立つのかということを検証する必要はある。この時期は分党騒ぎを起こさないと見向きもされない野党の方々は、普通の人が感じてしまう「地域エゴ」を越えて、充分な調査をやって欲しいと思う。また、今回の神奈川は建設関係の予算計上が目立っている。福祉や教育やITなどの予算の要求がしっかり行われたのかを、野党と報道は協力して調査公開して欲しい。
27.自分も他人も政治コラムの書き手になる時代について。
インターネットの時代になって、人々が自分の意見を公にすることが簡単になった。今までは出版社やメディアのチェックを通した形で、限られた人しか自分の意見を公にするチャンスはなかったのが、自分のホームページを開設したり、こうして公開掲示板に投稿したりして、自分の意思だけでほとんどの人が自分の意見を公にできるようになった。
従って、政治コラムを書く人が大幅に増えた。前々から大体の新聞や雑誌には政治コラムがあるが、今では政治関係の無数のホームページのほとんどで、著名人から無名人まで色々なスタンスの政治コラムがある。特に無名の人々の内容の濃い政治コラムが目立つ。インターネットの時代は人々の政治参加を進ませたことがよくわかる。
しかし、あまりにも政治コラムの数が多いので、個々の内容が濃いので、政治に興味があってもとても全部は読み切れない。また、連載を毎回読むというのも大変だ。時間がないし、お金もかかるし、目が疲れるし、内容が覚えられない。また、次々と新しい政治コラムができる。全てをチェックするのは大変だし、多分不可能だ。
政治コラムの末端の書き手である私が、他人の政治コラムをまともに読んでいないのだから、自分のコラムを毎回読んでいる人々はまずいないんやろなあ、と思う。
政治コラムの書き手の中には、労力をかけて一生懸命書いたものを無料で読ませるのは悔しいという書き手もいるのではないか。私はとにかく自分の文章を他人に読んで欲しい一心で書いているから、大規模インターネット掲示板の一角に自分の場所があるだけで嬉しい(お金が入ればもっと嬉しいが)。ネタを探し、文章にして、定期的に連載するのはなにより自分の社会勉強になる。とりあえず来年も政治コラムを書き続ける予定です。
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