177.民主党代表戦後のごたごたについて。
「翌日も朝から党大会の続き。国会議員席は空席が目立つような気がした。ここで鳩山新代表が『幹事長を中野寛成さんにお願いしたい』と突如発表した。承認の拍手を求められて、しばらく沈黙があった後、パラパラという拍手と、小さなざわめきがあった。拍手をしていない人の方が多かったのではないだろうか。この瞬間から、民主党の執行部人事の迷走が始まることになった」。民主党の水島広子代議士の9月24日の日記を、メールマガジンから引用した。
中野寛成氏の民主党幹事長就任はいろいろ問題はあろうけれども、党大会で決まったものだから、文句を言う筋合いはないだろう、と私は思っていた。文句を言っている人々は、党大会に出席して、懸案の異議のあるなしをはっきりと主張するべきではなかったか。
討論会では「選挙の後は結束する」と言っていた鳩山氏以外の3候補の陣営だが、実際の選挙後は、民主党の分裂を誘発するような行動が目立った。正式な党大会を開いて代表なり幹事長なりを辞めさせる手続きを行わずに、一部議員はマスコミの場で騒ぎ立てた。
法律や手続きや社会のルールを守ってくれないと、多数の一般人が困る。極論を言えば、どうせクーデターをやるなら、一般人に危害をかけることなく、しっかりと成功させてほしい。執行部も反対派も、中途半端なところをマスコミにさらされた民主党だった。
178.外交に、一般人は立ち入れないことについて。
外交は、非情なゲームである。多くの人々の命や幸福も、ゲームに使用される駒かカードかのひとつに過ぎない。駒を取られ、カードを捨てたりするように多くの人命や幸福が非情に失われるが、ゲームのプレイヤーはそれの代わりに、より大きい価値のあるものを得ようと努力する。あるときは同じプレイヤーに友好と攻撃を仕掛け、ゲームに参加したプレイヤー全てに気を抜いてはいけない。
「より大きな価値のあるもの」を得ることにかけて、外交ゲームのプレイヤーたる外交官の能力は素晴らしい。では、「より大きな価値のあるもの」とはなんだろうか。それは、外交官の立場・人格・識見に従って、彼らが胸に秘めているものである。
なにやら難しく書いたが、「外交の結果が人々の期待にそぐわないこともあるのはなぜか」という疑問の答えが、こんな感じになる。
多くの人々の利害がぶつかり、あっちもこっちも立てなければやってられない政治の最たるものが外交である。本来的に矛盾しているこの作業は、ゲーム感覚でやらないと破綻する。厄介者が死ぬのを待ったり、多元外交やだまし討ち外交をやったりするのも、「より大きな価値のあるもの」を追いかける外交官の業の産物である。
今回の日朝交渉の際の拉致被害者家族のかたがたはかわいそうである。何十年も苦しんで、外交の駒やカードにされてしまうのが。
179.若者が議員になるのは大変なことについて。
最近にわかに、「選挙にでも出てみようかなあ」などと思いだしている。まあ、「貧すりゃ鈍す」の極みである。しかし、来春の統一地方選挙のからみで、自民党横浜市連が私の住んでいる区の市議候補を公募していたり、「若者政治家養成塾」なるものが地方政治家の志のある若者を募っていたり、結構騒がしいのである。
しかし、地方選挙で、若者の新人が勝つのは非常に難しい。むしろ、風に乗れば国政選挙の方が勝ちやすいとも言える。実際に地方議員を調べてみれば、町内会や商店会やPTAなどの役職についている年配のかたか、会社社長や行政書士などの経験豊富な壮年、あるいは公明党や共産党の幹部といったところが一握りの新人で、あとは地方議員として何期もやって実績を積んでいるかたがたである。
未だ政治はワイドショーの域を出ず、直接の利害関係者以外、地方議会への関心は低い。地方議会が何をやっており、それが人々にどう影響しているのか、少なくても私はよくわかっていない。
国政地方を問わず、人々は多分、気持ち的には若者が出て改革してほしい、と思っているのだが、いざ選挙があって立候補者が並ぶと、経歴や人生経験がないとか、ひよわで頼りないとか、自分勝手だろうとかで、若者には票を入れないものである。それが、二世・官僚議員、あるいは政治を私議できるベテラン議員を育てている。
180.政治家によるメールマガジンの普及について。
政治家が普段何をやり、何を考えているかということは、常に公開されていなければならない。そうでなければ、人々は政治家を選挙する材料に困り、民主主義が正常に機能しなくなってしまう。報道が公正に欠けると論じるならば、政治家は自分で誠実に情報公開すべきである。最近はITによる情報公開も多くなっている。
今や、ホームページを開設している政治家の先生がたが増えている。しかし、長い間更新されていなかったり、プロフィールと政策とみたいな内容の乏しいものだったりすることがかなり多い。まあ、わざわざURLを打って政治家の先生がたのホームページを見に行く人々が少ない、というのはホームページの弱点ではある。
一方、メールマガジンという伝達方法が、政治家の先生が情報公開をし、自分の宣伝をする優れたツールになっている。人々が頻繁に見るメールの受信トレイに直接届くので面倒がない。
しかし、政治家の先生がメールマガジンを書くのは大変である。いろいろ忙しい中でネタを見つけて文章を仕上げるのは結構一仕事である。読者をつけるためには、頻繁に発行し、たまには政界裏事情のような面白いことも書かなければならない。しかし、そういう苦労を経て届けられるメールマガジンは、人々にとって非常に役に立つ。是非メールマガジンが普及してほしいものである。
181.若者が議員になるのは大変なことについて。その2。
衆議院神奈川8区補選の立候補予定者の年齢をみると、46歳が最年長である。極めて異例の若い候補予定者たちが選挙戦を行う。
だが、もしこの中に一人、高齢現職2世、しかも官僚か県議上がりみたいな、「典型的な議員タイプ」がいたとしたら、その人が当選する確率が高いのだろう。危機の現代、人々は即戦力を求めている。そして、人々は、リーダーシップを求めていると思われる。
「典型的な議員タイプ」は、最近は政治の弊害のように言われてきた。しかし、「我が地域の代表としての国会議員」として、彼らは最適だったのである。人々は、彼らのお願い、命令だったら、納得して従う。伝統的な支配ー服従のモデルがそこにある。
若者が選挙に出たとき、「なぜ、我々の代表が彼なのか」と、人々は彼らに嫉妬する。「多くの人の中から、私を差し置いてなぜ彼が選ばれたのか、どうせ能力はないのだろう、コネなんだろう」と、若い候補者をひがみの目で見る人々を、馬鹿にすることはできない。
国会議員は地域のためではなく国のためにある。若い人の利益を代表し、若い感性を国政に反映するために、若い議員も必要なのだ。民主主義だから、政治を優秀な議員に任せないでほしい。議員は政治において人々を代表するのであって、全知全能において人々に勝るわけではない。若い候補者は、あの手この手で挽回してほしい。
182.少し意外だった、石橋湛山の言葉について。
戦前最大のリベラル石橋湛山が首相のときの、世界における日本の役割についての言葉。『東洋経済新報』の昭和32年新春特大号(1月5日)から。石橋はこの年の2月に首相を辞任している。
「いまの日本の憲法は権利の主張が非常に強く、義務についての考慮が足りない。・・・軍備の問題でもそうです。軍備すなわち徴兵といって、みなふれることをイヤがるが、国連に加盟して国際的に口をきくためには、義務を負わなければならない。国連の保護だけを要求して、協力はイヤだというのでは、日本は国際間に一人前に立ってゆくことはできません」(私はこの文章を『戦後日本の宰相たち(中公文庫)』の、猪木武徳氏の論文から引用した)。
まあ、文章だけを読むと、国際政治学者あたりが普通に言いそうな、「はいはい、わかってます」と言いたくなるような文章である。徴兵のくだりは、国粋主義的な人が好んで言いそうな言葉である。先日、石破防衛庁長官が「徴兵制は憲法違反ではない」と発言した。
しかし、この言葉は、石橋湛山が発したものである、という点が非常に印象に残る。石橋の公職追放を、誰もが「GHQの陰謀だ、彼は戦争に加担したことはない」と感じる、それほどの人がこう言ったのだから、軍を使う国際貢献や徴兵制は正しいのだ、と思う。
この言葉についての私の見解は、次回のコラムで述べたいと思う。