157.憲法記念日、憲法前文とマイナー条文について。
雑誌「中央公論」で、新しい憲法前文を作る試みが行われている。しかし、私は憲法に前文は必要ないと思っている。憲法以外の普通の法律には前文はない。前文として述べたいことは、第1条以下、最初の数条で述べればいい。そもそも、「前文」は法律条文の一種で法的根拠があるのか、ただの文章で法的根拠がないのか曖昧である。さらに、前文は法律条文的ではない平易な文章であるがゆえに、かえって解釈が複数に及んで恣意的解釈が導かれる恐れもある。
憲法改正論が、9条だけを中心に動いていることは心外である。憲法は103条あって、その全てが綿密な議論を経て見直されることが必要なのである。皆様も憲法を全般的に考察していただきたい。
例えば、(条文はここでは書かないが)第97条から第99条まで、「第10章 最高法規」といわれるところは、ある意味憲法で一番大事なところで、本来なら一番最初に論ぜられるところである。この3か条は憲法制定時に「おまけ」的に付け加えられたところである。それゆえか、裁判でこの3か条をめぐって争われたことがなく、学術的にも実際運用的にも重要視されず忘れられていた。
ところが、この3か条を最大活用すると、憲法のその他の条文との矛盾が頭をかすめたり、国家もしくは人々にとって、強大な権力をもたらす可能性を秘めている。面白い興味深いところなのである。
158.日本と中国の正しい認識合戦について。
自由党の小沢党首は4月6日、中国を批判して「いい気になると日本人はヒステリーを起こす。中国は核弾頭があると言っているけど、日本がその気になったら一朝にして何千発の核弾頭が保有できる」と表明した(日経7日朝刊)。これを受けて、10日付けの中国青年報紙は中国政府のコメントとして「はったりをきかせ、自己アピールしただけ。小さな野党の責任者であり、政策の決定にいかなる影響も与えない」と伝えた(読売16日朝刊)。
1ヶ月前の話をネタにして申し訳ない。急に思い出したのである。
小沢党首も中国政府も、正しい認識を持っているな、この2者なら、冷戦時代の米ソのような、冷静非情ながら無差別大量殺人を避ける、大人の外交ができるな、と私は思ったのである。
中国政府は日本の教科書の細かい所まで目くじらをたてるが、中国を非難する最近流行の右翼系雑誌や書物には表面上ノータッチである。日本人への影響度は後者の方が強いような気もするが、中国政府はあくまで、日本政府の対中国体勢を気にしているのである。
日本が軍事国家になり得る、と日本の政治家が指摘したのも大事なことである。日本は世界から、口では謝罪や反省の言葉が出るが、無意識に軍事国家になっている、と思われているからだ。小沢党首が影響力を持たないという見方も、客観的には正しいのである。
159.日本国憲法前文について再び述べることについて。
プロの政治評論家には、綿密な取材に加えて、書籍や新聞雑誌、インターネットに至るまでのあらゆる文献を調べる作業を要求される。残念ながら、私はアマチュアに過ぎないことを思い知った。
事情があって即日では読めない読売新聞の5月3日付け朝刊を見たら、『世界は「憲法前文」をどう作っているか』(中山太郎衆議院憲法調査会長著、TBSブリタニカ)という本の広告欄があった。
私はこの本を読まずに、前々回のコラムで「憲法に前文は要らない」という趣旨の文章を書いていた。いやはや、実に参った。
8日になって、仕事の後で本屋に寄ったが、2001年11月の刊行ということで、私の行った本屋にはその本は置いていなかった。
前文は、日本以外の多くの国の憲法に存在するそうだ。さらに、ほとんどの国際条約に前文がある。今六法全書を調べているが、しかし日本のその他の法律に、前文はまず存在しないはずである。
思うに、他の法律が官僚が作るのと比べて、憲法や条約は政治家が作る法律だ。前文は政治家の文章、人々に夢を与えるが現実味に乏しい文章、何とか読解しそうな文章、というような気がする。
前文の性格が憲法の性格に反映している、と推論を進めたい。素人でも書き直すことができる政治のバイブルである反面、法律としての効力があまりない。最高法規がそれでいいのだろうか。
160.瀋陽領事館事件初期に対するさまざまについて。
瀋陽領事館事件はかなりの重大事件だ。戦前において、清の国民が列強の租界で乱暴狼藉をやって列強の軍事介入を招き、列強に続いた日本が帝国主義に傾いていったという状況を思い出す。このような事件の再発防止や、在外公館防衛のために、戦前の「在外武官」のような自衛隊員を派遣するという議論に説得力が出てきそうだ。
アメリカやカナダの在外公館への亡命は成功している。これらの国の在外公館の警備も中国人武装警官がやっていたのであろうか。あるいは自国でやっていたのか。これらの国の外交官には中国武装警官を抑えられる権力があって、日本にはなかったのだろうか。
議事堂や官邸などに人が飛び込もうとした場合、まずテロを想定して護衛官は阻止するだろう。だから中国武装警官の行動には一理ある。亡命者の身体的自由をある程度制限した上で、亡命手続きをとらせるといった処置は必要だと思う。門前払いはいただけないが。
現在日本国内ではこの問題でヒートアップしているが、もしかして、「日本の常識は世界の非常識」で、中国の対応の方が国際的に理にかなっているのかもしれない。普段は外務省を擁護することの多い私だが、今回の政府や外務省の対応には不満がある。
最近の外交は本当に複雑な事態が続いている。外務省だけに、一方的な論調だけにことを任せるわけにはいかないと思う。
161.議員辞職勧告と佐藤優さんのそれぞれについて。
鈴木宗男議員の議員辞職勧告決議案が衆議院議院運営委員会で鳩山邦夫委員長の裁定で否決された。このことに対して、野党やマスコミや世論の多くが憤慨しているが、私は鳩山邦夫委員長の行動を支持するとともに、これに憤慨する多くの論調に批判したいと思う。
いみじくも鳩山委員長が「これは憲法上の問題だ」と述べたとおり、議員の進退は憲法で定めている稀有な例外を除いて、他人が決めることができない。議員辞職勧告決議が可決されたからといって、友部達夫前議員のように辞職を拒否することに何ら問題はない。
考えてほしい。議員辞職勧告決議で議員が辞職しなければならないのなら、多数党が少数党の邪魔な議員を片っ端から辞職させるであろう。例えば、憲法を改正するための「全議員の3分の2の賛成」を実現させるために、改正反対議員を一掃することができる。
だから、野党やマスコミや世論は鈴木宗男氏に対し頭に血が上り、自分で自分の首を絞めているように、私には思えるのである。
佐藤優外務省前ロシア主任分析官が逮捕された。私は某所で佐藤さんのロシア情勢に関する講演を聴いたことがある。そのときは鈴木氏のスの文字も出ず、知識と経験に裏付けられた見事な講演だった。佐藤さんにはできるだけ自らの犯したことを反省して、外務省不祥事の解決に協力し、豊富な能力を人々のために使ってほしい。
162.国立国会図書館の一般的説明について。
国立国会図書館は、戦前の旧帝国図書館を前身として昭和23年に設立された日本最大の図書館である。日本で発行された図書や逐次刊行物は全て原則として国立国会図書館に納めることになっている。図書約749万冊、雑誌約16万種、新聞約9千種(平成12年度統計)を所蔵しており、毎日数百冊ずつ増加している。
国立国会図書館は、もともと国会議員が審議のために必要な資料を調査し提供するために作られた機関である。国会からの調査処理件数は平成12年度で32496件である。現在では、行政司法や他の図書館などの調査にも応じ、一般にも資料を公開している。
一般人をメインにしている図書館ではないので、国立国会図書館は一般人にとって使い勝手のいい図書館ではない。資料は自分で探せず請求しなければならないし、請求してもかなり待たないと資料が出てこない。貸し出しはできないし、複写も即日にできない可能性の方が多い。よほど読みたい資料がないと、ここは使いにくい。
しかし、日本の資料で国立国会図書館になければ、もう日本全国世界各国の図書館古本屋を廻るしかない、でもその必要はない、と言えるくらい、国立国会図書館は信用できる図書館である。私は卒論のためにここによく行った。ここにない資料は使わなかったし、実際ここにある資料も、些細過ぎて使わなかったという経験がある。
163.結局2回目、瀋陽領事館事件について。
最近の議員先生のや時事系のメルマガ、あるいは新聞雑誌の論調は、右も左も、穏健も急進もおしなべて、瀋陽日本領事館における北朝鮮亡命者の中国当局による拘束事件を批判している。そして、中国を嫌って外務省を叩くことで大同団結できそうな情勢である。
テロ支援国家とされる北朝鮮国家、国家に翻弄される不憫な北朝鮮国民、その落差が人々を大同団結に駆り立てたのか。北朝鮮亡命者を、「北朝鮮の工作員」と捕らえないマインドは、「国家=国民」ではない人々のマインドでもあるのか。難しいところだ。
さて、論調の大同団結がなされた以上、民主主義であるからには、人々は、「中国と外務省にペナルティーを与えよ」という行動を、人々のための国家にやってほしいところであろう。民主主義を信奉する報道は、早速国会議員にアンケートを実行し、中国と外務省にペナルティーを与える法案か決議の履行を勧めるべきである。
現在、日本に中国と外務省にペナルティーを与える行動が出ないのは、論調に同意していない人々がまだいるとか、世界のどこかに、論調に対する有力な反論があるとか、論調の知らないところで、論調が見ていない行動が起こっているとか、なんかあるのだろう。
残念ながら私までもほかのネタで書けなくて瀋陽領事館事件について書いている。言論がヤバいかなあ、と少し思っている。
164.国会の長さを決める議院運営委員会について。
同じ永田町にありながら、国立国会図書館の地下書庫からは国会の様子はほとんどわからない。ただ、17時頃に、今日の国会は終わったとか、何時まで長引くから各部局待機せよとかのアナウンスがある。この1週間は、長引いたり早かったり、さまざまである。
参議院は普通の内閣提出法案を通すだけだから、当分長引かないだろう。衆議院が、争点法案を審議する委員会の開催日時を決める議院運営委員会で与野党が対決して長引いているのだろう。
議院運営委員会が委員会の開催日程を決めない限り、当該委員会は開かれない。野党にとって、与党との対決そして交渉の場は議院運営委員会の理事会である。この理事会がまとまらず、休憩再開を重ねて、国会は長くなる。朝理事会数分、休憩、昼理事会数分、休憩、夕方理事会数分、議院運営委員会を数分、で委員会を数分、という状況で、休憩中に非公式の駆け引きが行われるのである。
こんなことを夜遅くまでやっている間、国立国会図書館や各官庁の当該部署は「国会待機」をやらなければならない。「国会待機」が続くと、強行採決がいいな、と一瞬思ってしまうのだろう。
6月19日の会期末まで20日くらいだが、強行採決を続ければ未だ与党はかなりの数の法案を通すことができるであろう。